「アラカン王国」の今を現地に見る

ラスト・フロンティアのミャンマー

 

 

日本の倍近い68万平方キロの国土を持つミャンマーは、中国、タイ、ラオス、インド、バングラデシュの5か国と、延長6000キロもの国境を接している。日本人記者も駐在する時代となったミャンマーからはフレッシュな情報が発信されるようにはなってはいるが、そのほとんどが最大都市ヤンゴンや首都ネーピードーから。ミャンマーの地方の情報が現在もほとんどないのは、いまだに外国人の訪問が禁止されていたり、事前許可を取得しなければ訪問できない地域が多いことも一因だろう。これまでに中国国境のムセに行く許可などをミャンマーで何度か取得したことがあるが、かなり大変だった。今回は「ラスト・、フロンティアの国」として注目されるミャンマーでもフロンティアであるバングラデシュと国境を接する西部のラカイン州(旧アラカン)に、日本企業には一体どんなビジネスチャンスがありそうか、といったことを中心に最新事情を書いてみた。ラカイン州は、紀元前からダニヤワディ、バサリー、レイムロ王朝として2000年の歴史を誇り、最後のミャウー(アラカン)王朝は1433年から1784年にビルマ王朝(コンバウン王朝)に併合されるまでの350年間続いた。

 

ラカインは今でも旧地名の「アラカン」と表現されることが多い。ラカイン州で現在も反政府活動を続ける反政府軍もアラカン・アーミー(AA)と言わなければ通じない。この原稿ではどちらかにあえて統一せず、文の流れに応じて、「アラカン」と「ラカイン」の両方を使わせていただく。

 

ミャンマーのラカイン州は約4万平方キロに広がっているが、ベンガル湾に面しているミャンマーのすべての海岸線の約3分の1がラカイン州に属している。ラカイン州のチャウピューにSEZ(経済特区)を開発することをテイン・セイン前政権下で決めたが、日本からの経済進出はこれまでのところ皆無。

 

ラカイン州は地元アラカン人の発音では「ラ」カイン州だが、他地域のミャンマー人は「ラ」を「ヤ」と発音し、ヤカイン州と言う。今回、通訳をお願いしてヤンゴンから同行してもらったヤンゴン出身のミャンマー人は、ヤンゴンからラカインに飛行機が到着したとたん、そこで話されているアラカン語がほとんど理解できなかった。州都であるシットウエー(Sittway)とチャウピュー間は単発機で30分ほどしか離れていないが、もう言葉が異なっている。同じアラカン人同士でも理解できないほど異なる方言で生活しており、ミャンマー語がラカイン州の共通語になっている。

 

現在のラカイン州の人口は200万強だが、「不法移民」のレッテルを貼られた無権利状態のイスラム教徒「ロヒンギャ族」が100万人もいるとされ、市民権は与えられず、政府は人口にも含めていない。

世界へ出稼ぎに行くラカイン人

アラカン人は300万ほどいるようだが、100万ものアラカン人がヤンゴンや世界に出稼ぎに行っているのは、ラカイン州には工場などの働く場所がほとんどないからだ。地理的にラカイン州からはミャンマーのちょうど反対側にあたる遠いカチン州に行った時にも、そこにアラカンから出稼ぎ労働者が多数来ているので驚いた。カチンで訪問したゴム園では「急に労働者が必要になれば、アラカンからの労働者ならその日に100人でも集められる」と言っていた。

 

ラカイン州は、農産物、鉱物、海産物などの資源に恵まれながらもインフラ開発が遅れる最貧州。

 

アラカン人は、郷土愛、結束力が強く、中国最強の商売人とされる浙江省の温州人に似て、他民族から疎まれている面もある。地理的に遠いラカイン州は各種インフラが整備されていないこともあって、日本人ビジネスマンは近づこうとはしない。

 

一方で中国人の存在感が増しており、資源開発を中心として中国一色の現状になっている。そこで同州でも中国の存在の高まりを警戒する人が増えており、同州の今後の経済開発に日本やアメリカの参加を期待する声があった。

 

あまりにも大勢のアラカン人が出稼ぎに行ってしまっているため、現在のラカイン州には人手不足の現象もあるという。シャン州のミャンマー人がタイに出稼ぎに行って、そのままタイに居座るという一種の移民現象も起きているが、それはシャン族が歴史・文化的にタイに近いという事情も影響している。

 

しかし、歴史的に郷土愛が強いアラカン人の場合は、アラカンに仕事が増えさえすれば出稼ぎから戻るのではないかと推測される。

パイプラインで中国への原油輸出も開始

州都シットウエーからプロペラ機で数十分ほど離れているのがミャンマー最大の島であるラムリー(Ramree)島のチャウピュー(Kyaukphyu)。ラムリー島は中央部でラカイン州本土とつながっており、第2次大戦中にインド侵攻への基 地として、一時はチャウピューを占拠した日本軍だが、イギリス軍に敗けて退去したカイオックピュー空港がある。

 

チャウピュー近くのオフショアで韓国財閥大宇グループの大宇インターナショナル(現在ポスコグループ)が2004年に発見した天然ガスを中国が手に入れた のは当時のミャンマーの軍事政権が中国 に与えたご褒美だった。インド、バング ラデシュ、タイなども、発見された天然ガスの購入を希望していたが、中国が単独で購買できたのは、アメリカが 2007年1月に軟禁中だったアウンサ ン・スーチー氏ら政治犯に対する抑圧を非難する決議案を国連安全保障理事会に 提出した時、中国とロシアが拒否権を行使したことから決議できなかったからだ。中国は棚から牡丹餅的に手に入れたチャウピュー近海のリグで採掘する天然ガスのパイプライン輸送だけではなく、中近東から輸入する原油を並行するもう一本のパイプラインを建設して中国雲南省まで運ぶ計画を立て、実現させた。この完成で中近東から大型タンカーで運んでくる原油はマラッカ海峡経由でなく、ラムリー島のチャウピューから中国までパ イプライン輸送する新ルートとして稼働している。

 

チャウピューからラムリー島内を本土 側にそって南に下がったところにあるマデー島に中国は1基9万立方メートルの原油タンク12基を建設した。

 

この原油タンクや天然ガスの施設を見 たかった私は、チャウピューでかなり大きなオンボロ船を5時間チャーターして、中国の石油・ガス基地があるマデー島に向かった。モーターボートなら30分ほどで行けるそうだが、私が借りた船よりも高い上、地元の案内人から中国の石油・ガス基地に向かう途中で潮が渦巻いている場所があると聞き、小舟では危ないと感じた。地元の案内者は実際の渦潮が目の前に見える場所で「あそこに新たな深海港ができる」と指さした。

中国の石油・ガス基地まではチャウピューの港から行きが2時間、帰りは1時間ほどだったが、これも潮の流れが影響したようだ。このあたりは海に続く湾内にあたるが、超大型タンカーであるVL CC(Very Large Crude Carrier)も接岸できる水深が数十メートルの東南アジアで最高の深海港を造れる場所だとされている。

 

マデー島に到着するほんの少し手前にミャンマー海軍の基地があった。ミャンマー海軍の本部基地が十数年前にシットウエーからここに移転してきたという。チャウピュー付近に陸軍基地も多く、中国の石油・天然ガス基地はまるでミャンマー海軍と陸軍に守られているかのような位置にある。マデー島に中国海軍の船がすでに来ているなどといった噂を聞いていたが、中国の軍用船などはまったく見当たらなかった。

 

マデー島には大型タンカーであるVLCCが中近東から運ぶ原油を貯蔵する12基のタンクの横にかなり大きな中国人居住施設があり、その前にはタンカーが停泊して原油を積み下ろす水深30メールの深海港がある。マデー島の石油タンクすべてを使えばVLCC数隻分の原油が貯蔵できるという。

 

2015年1月30日、マデー島でパイプライン完成式が中国とミャンマー政府により行なわれた。そして、天然ガスのパイプライン輸送はすぐに開始されたが、原油輸送については雲南省の国営企業である中国石油の新設製油プラントの建設の遅れが影響して、2017年から開始されている。

しかし、2015年、1度だけながら「大連」号という大型タンカーが積載能力の半分ほどの原油を運んでこのマデー島にやってきて、タンクに原油を入れている。2016年にはまったくタンカーは来なかったが、2017年4月に中東からのタンカーがやってきて原油を降ろし、パイプラインでの中国への輸出が開始された。大型タンカーの航路は地元漁場を通過していることから、地元漁民の反対運動、地元との土地使用に関する政府関係者が保有する土地での利権争いなどの問題は未解決のようだ。

 

ミャンマーの国営紙である「グローバル・ニュー・ライト・オブ・ミャンマー」の2017年5月21日付けの記事によると、(2日前の)5月19日にマデー島のタンクに入っていた原油がパイプランを経由して中国国境までの約800キロ送られた。そして「ミャンマーは年69億米ドルの通行料を得る」と報道した。

 

チャウピューのオフショアで天然ガスを採取している「Shwe Gasリグ」から最 初に上陸する天然ガスのパイプライン は、マデー島ではなく隣接するラムリー島であり、そこに韓国の大宇グループによる天然ガス中に含まれるゴミや水分を除去する大きな天然ガス清浄プラントがある。そのプラント前の道路の反対側に中国の天然ガスを送り出す施設と発電所 がある。そして、ラムリー島を縦断したところにあるマデー島には中東からの原油も到着して、マデー島からは中国雲南省まで2本並ぶパイプラインとして輸送 されている。

 

アラカンに資源が多いことのひとつとして原油も古くから出ていることがあげられる。

 

中近東から原油を輸入してチャウピューから中国までパイプライン輸出を始めたこととは全く関係なく、チャウピューで原油が採れている。チャウピューSEZ予定地近くには何と手掘りで原油採取をしている人が約1000人、家族を含めれば数千人も「オイル・ファーマー」がおり、多い人で1人が日に数十バレル(1バレルは約160リットル)、ほとんどの人は日に1バレル程度の原油を採取し、売っている。1バレルでも「生活できる」のは、ミャンマーの原油がバレルあたり約60米ドルもするからだ。チャウピューの海岸でも海の中に木製のやぐらを立てて原油を採取していた。

 

アメリカに在住しているアラカン出身の起業家

以前は大きな船の船長を務めたことが あるアラカン出身のシーマン(海の男) であるマイク・ムラ・トゥン(Mike Mra Tun)氏と泊まっていたホテルのロビー で知り合った。その後もシットウエーで たまたま食事するため入ったレストランで偶然にも再会して親しくなって、さら にはタイに戻ってからバンコクでもお会いしている。

 

現在はアメリカのニューヨークに近いニュージャージに在住して企業を経営しているマイク氏は1961年にラカインで生まれている。かつてミャンマー国境に近いタイやシンガポールなどでの仕事が多かったマイク氏だが、このところひんぱんにラカイン州に来ているのは、軍事政権時代には認められなかったミャンマーへの再入国が民政化以来、自由になったからだという。

 

そして、出身地であるラカイン州各地を訪問して、この出身地の経済発展に寄与できる様々なビジネスを構築中。チャウピューで手掘りしている「原油採取の機械化、ラカイン州の重機から出る廃油の再生機械が日本にはないでしょうか」などとマイクさんから聞かれた。

チャウピューSEZ(経済特区)を開発

ミャンマーは2014年1月に制定 された改正経済特区法に基づいて、ヤ ンゴン郊外のティラワ経済特区 (SE Z)、南部のダウェイSEZ、西部のチ ャウピューSEZという3か所のSEZ を開発していくことを決めた。そして、 チャウピューの当初計画では1700ヘ クタールのSEZを開発して石油化学関 係を中心に誘致したいと考えている。国 際入札を経て、2015年 12 月に中国政 府100%出資のコングロマリットであ る中国中信集団(CITIC)がチャウピ ューSEZの開発権を取得、CITIC を中心としたコンソーシアム(企業連合) を組んで工業団地と深海港を開発するこ とが決まった。中国国営のゼネコンであ る中国港湾工程(CHEC)や中国の港湾 運営会社などに加え、タイの華僑系大手 財閥であるCP(チャルーンポーカパン)が参加することも決定済み。しかし、地元ではチャウピューでさらなる中国の存在の高まりを懸念し、「SEZ開発に中国以外の国の企業が名乗りを上げてほしい」と期待する声を聞いた。

 

CITICが中心となるチャウピューSEZ開発が決まっても、CITICに協力するミャンマー国内企業の認定が遅れていることなどから開発はスタートできないでいる。チャウピューSEZを開発するに当たって、ミャンマー側にはミャンマー・チャウピューSEZホールディング(MKSH)というミャンマー政府が主導した唯一のパブリック・カンパニーがあり、この会社に合弁登録したミャンマー企業だけがチャウピューSEZ開発に参加できることになっている。MKSHではチャウピューSEZ開発で51%の権利を保有、中国側は49%にとどめるように要求している。開発を開始するために必要となる書類もまだ多く残っており、建設準備が整うまでにはさらに数年はかかると関係者が明らかにした。SEZ開発のホールディング会社であるMKSH本社はヤンゴンにあり、10社以上のラカイン州企業と首都ネーピードーやヤンゴンの企業も参加する計17社が参加している。

初の民間工業団地で日本企業と組みたい大手IPWグループ

ラカイン州の州都であるシットウエーに本拠を構えてラカインの重要ビジネスを広く手がける同州最大手企業の幹部を取材できる機会を得た。この会社はIP W(Inn Pauk Wa Group of Companies)グループで、同州で最大の納税企業だという。シットウエー初のバスターミナルを建設した他、グループの商社ではアラ カンで豊富に採れるエビ、魚の他、メイズ、緑豆、セサミといった農産物を英国、シンガポール、中国、バングラデシュ、サウジアラビア、マレーシア、カナダ、オーストラリアなどに輸出している。また精米、精糖、サトウキビやゴムのプランテーションの経営の他、タンカーもグループ社が保有、20 万ガロンの石油タンク2基も保有、シンガポールからはディーゼルオイル、潤滑油なども輸入している。

 

他にも木材加工、飲料水製造といったビジネスも広く展開しているIPWグループだが、これまでに日本企業との共同事業はゼロ。

 

IPWグループではラカイン州南部のガパリ(Ngapali)という西洋人観光客が多い有名なビーチ・リゾートに日本企業と合弁で新しいリゾートホテルを建設したいとも希望していた。IPWグループではかつてのアラカン王国の都だったミャウー(Mrauk-U)ですでにホテルを経営しているが、シットウエー、チャウピューなどでもホテルを建設する計画。さらに「ミャンマーでの肥料用尿素やセメント製造の他、発電所の建設も手掛けたい」と考えている。

 

IPWグループではチャウピューで計 画されている工業団地を中心とするSEZ(経済特区)計画とはまったく別に、純民間企業であるIPWグループとしての工業団地開発計画も進めている。シットウエー郊外にこの工業団地開発のための土地をすでに保有している。そこはシットウエーを河口とする大河であるカラダン川で海から20 キロほど上流にあるポーナジョン(Ponnagyun)で、輸出入などでベンガル湾から直接航海できる。

 

「すでに中国企業3社が関心を寄せているが、本当は日本企業に参加してほしいと願っている。どんなタイプの工場団地をどんな業界向けを中心に開発するかといったこともまったく未定。日本のパートナーが出てくれば、その意見を入れた計画を具体化させたい」とIPWの幹部が私に期待した。

バングラデシュなのにミャンマーからというウソ

ラカイン州を紹介するためには「ロヒンギャ」問題の説明は不可欠だ。「ロヒンギャ」の問題は広く東南アジアの問題となっている他、人権問題として世界から注目されているからだ。「ロヒンギャ」は不法移民としてラカイン州で隔離されており、生きる道を閉ざされた「ロヒンギャ」が2014年頃からアンダマン海を漂流してタイ南部やマレーシア、インドネシア東部に到達した。タイ南部、マレーシアでの人身売買、病死した「ロヒンギャ」の死体も、タイ南部、マレーシアで多数発見されている。

 

しかし「ミャンマーからタイやマレーシアなどに漂着しているロヒンギャ」として世界に報道されているのは間違いだとラカイン州のあちこちで聞いた。

 

「彼らはミャンマーからでなく、実はバングラデシュから船出している」と言うのだ。具体的にはミャンマーとバングラデシュ国境あたりのすぐ沖にマレー半島に向かう「難民船」が用意され、エージェントが主にバングラデシュ国内からの乗船者を小舟で運び、一部は国境に近いラカイン州から小舟で運ばれる「ロヒンギャ」もこの「難民船」に合流する。そして、タイなどにたどり着いて、「バングラデシュから来た」と言うと、国連の難民認定を受けにくいが、(迫害されている)「ロヒンギャで、ミャンマーから来た」という嘘をつくことで難民認定が優位なるそうだ。

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(チヤウトーの国境を武装して歩くミャンマー国軍兵士。数十メートル、ずっと間を取って歩いている。戦場に近いからと感じた。)

 

国家元首の扱いになっているアウンサン・スーチー氏だが、指導するNLD(国民民主連盟)が選挙に勝ってからは、理由も明らかにしないままに軍との協調姿勢に一転。そして、アウンサン・スーチー氏は軍との関係悪化を恐れて、肝心なことになると、自らの意見は決して出そうとはしない姿勢を現在まで続けている。2017年にはミャンマーの人権問題を調査しようとした国連職員の調査を妨害し、国連人権高等弁務官事務所が決めたラカイン州への調査団派遣を許可へしなかった。これら軍事政権時代と変わらない行動をするアウンサン・スーチー氏に対する国連からの批判も増えている。「ロヒンギャ」問題を解決しないミャンマーに対する抗議集会が世界最大のイスラム教国であるインドネシアで開催されたり、マレーシアではマハティール元首相がミャンマー政府の無策を批判してきたが、現首相のナジブ首相も「アウンサン・スーチー氏は何のためにノーベル平和賞を受けとったのか」などといつまでも行動を起こさないアウンサン・スーチー氏を公然と批判するようになっている。

 

残念ながら、日本企業のアラカン投資は時期尚早という現状になる。

 

 

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松田健(まつだ・けん)

アジアジャーナリスト。元日刊工業新聞記者。主な著作 には、『タイで勝つ!! 直感力こそ成功のカギ』(重化学工 業通信社)、『今こそフィリピ ンビジネス─アジア投資の穴 場』(カナリア書房)、『魅惑のミャンマー投資』(カナリア書房)などがある。

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