インドは先進国を目指す

インドは先進国を目指す

今も進化し続けるアジアの大国

世界第2位の人口大国であるインドの経済成長が著しい。日本企業の進出も加速している。 このまま順調に成長していけば、インドは世界有数の経済大国となるのは間違いないだろう。 しかし、先進国では全くあり得ない施策が、ある日突然行なわれたりする国であるのも事実だ。それはこの国の大きな不安要因でもある事は否定できない。果たして、インドはこのまま経済成長を続けていくのか──。高額紙幣廃止後のインドの現状を報告する。

ある日突然、高額紙幣が廃止される!

インド政府は2016年11月8日に突然、500ルピー(1ルピー約1・73円=2016年12月現在)と1000ルピーの高額紙幣を廃止する、と発表した。翌9日に日付が変わる瞬間から即実行。国中が混乱の波にのまれた。

政府は地下資金の一掃のため、事前に公にするわけにはいかなかったと説明した。各銀行の支店では11月10日から旧紙幣と新紙幣の交換が始まった。自動預け払い機(ATM)では禁止されなかった100ルピー札の引き出しが可能だ。しかし、銀行には連日、国民が殺到。新紙幣を入手するため、多くの人が銀行やATM前に数時間並んだ。それもようやく落ち着いてきたかに思えた11月25日、政府は銀行での新旧紙幣交換を停止すると発表した。多くの旧紙幣が回収されたとの見方からだ。現在、銀行では旧紙幣の預け入れだけが可能で、現金を入手するにはATMに並ぶか、もしくは小切手を使って銀行窓口で引き出すほかない。現状は回復に向かっているようだが、銀行前には、まだ毎日のように人だかりができている。旧紙幣の預け入れは年末までで締め切られる。それまでは混乱が続く可能性もある。

現金しか信用しない社会

現在は新紙幣と100ルピーと50ルピー、10ルピー、5ルピー、2ルピー札のほか、硬貨が使用可能だ。政府は旧紙幣の廃止に合わせ、新500ルピーと2000ルピー札の発行を開始した。新1000ルピー札も今後発行するとしているが、具体的な期日は発表されていない。

2000ルピー札は段々と市場に出回り始めているようだ。一方で、新500ルピー札の印刷が予定より大幅に遅れているとされ、流通はもう少し先になりそうだ。

全紙幣の発行枚数を金額ごとに見ると、旧500ルピーと1000ルピー札は合わせて24・4%を占め、金額に換算すると計86・3%を占めていた。国内に存在していた8割分の紙幣が、一夜にして単なる紙切れと化した。高額紙幣がいきなり使用禁止になったことが、なぜここまでインド社会に衝撃をもたらしているのか。昔ながらの決済習慣に一定の答えを見い出せそうだ。

インドでは現金決済が主流。ボストン・コンサルティング・グループの調べによると、ネットバンキングや携帯電話を活用したモバイルバンキング、カードなどを含めた電子決済は、2014年度/2015年度時点で全体の17%に過ぎない。前年度から3ポイント拡大しているが、まだまだ少数派だ。

一方、現金決済は全体の71%(2014年度/2015年度)を占める。前年度の75%からわずかに縮小しているものの、大多数がまだ現金を好む傾向にある。銀行に預金するより、家でタンス預金を蓄える家庭も少なくないという。このほか、小切手が9%を占める。

個人商店に大打撃

今回の高額紙幣廃止でかなりの打撃を受けているとされるのが、個人商店だ。なぜかと言うと、これらの小規模な店ではカード決済ができるシステムを導入していない。さらにインドは日用品の物価が安い。例えば1・5リットルのペットボトル入りの水は20ルピー。日本の2分の1以だ。野菜の価格も総じて安く、八百屋は1000ルピーはまして、2000ルピー札を出されても、釣りがないとやむなく断るほかないケースが多い。

インドの個人商店は「キラナ」と呼ばれる。野菜から食パン、卵、たばこ、石けん、シャンプーなど生活に必要なものはほぼ全てこの個人商店でそろう。これらの小規模な小売業者は、近代的なスーパーマーケットなどの小売りと区別され、組織化が進んでいない市場として分類される。イギリスの調査会社ユーロ・モニターは、インドの小売市場は2016年に35兆ルピーに達すると試算している。このうち、近代小売りは約1割。ハイパーマーケット「ビッグバザール」を全国展開するフューチャー・グループを筆頭に、リライアンス・グループやタタ・グループなど大手が複合企業(コングロマリット)が名を連ねる。

(インドでは道に軒を連ねるキラナが小売業界の9割を占める)

一方、小売市場の9割を占めるのが前述のキラナが構成する非組織化部門だ。クレジットカードやデビットカードを受け付けるスーパーマーケットとは違い、キラナは現金のみを取り扱う店舗がほとんど。ニールセンが全国750店のキラナを調査したところ、カードを受け付ける店は1%をわずかに上回る数だったという。廃止から数日でキラナの7割は売り上げが落ちたと報告している。商売を立て直すため、旧紙幣を受け付ける店舗も出てきているという。キラナの1割は旧紙幣での取引を再開。政府が銀行での新紙幣との銀行での交換を年末まで認めているためだ。だが、政府は旧紙幣での取引を一切禁止しており、見つかればリスクは高い。

カード決済のシステムを導入しているキラナでも、現金のみを受け付ける業者が増えているようだ。背景には、卸売市場から商品を仕入れる際の仕組みにある。野菜などを仕入れる場合、取引相手は農民が多い。口座を保有していない農民も多く、現金の取引しか受け付けないこともあるという。キラナは店に並べる商品を仕入れるために現金が必要。そのためにカード決済を拒否する。こうした構造ができている。だが、やはり釣り銭がないことから2000ルピー札で買い物するのは現在でも難しく、キラナにも現金が回ってこないのが現状だ。回り回って卸売市場では在庫が積み上がっており、農村経済の停滞も危惧されている。

ネット通販も代引きが主流

インドの小売市場では、過去数年間でネット通販も急速に台頭してきている。米系アマゾンと地場のフリップカート、スナップディールの3強は大幅値下げなどキャンペーンを次から次に打ち出し、顧客獲得に躍起になっている。

大手3社の小売市場におけるシェアは2015年時点で3・5%。前年の0・9%から約4倍に拡大した。実店舗を中心に経営する企業上位3社(フューチャー、リライアンス、タタ)の市場シェアは合わせて前年から横ばいの1・4%。ネット通販が消費者の間で受け入れられ始めていることがうかがえる。ただ、今回の高額紙幣の廃止で、ネット通販も短期的には打撃を受けるとの見方が出ている。オンライン決済ができるとは言え、ネット通販を利用する消費者はカード情報の入力するのをためらう人が多い。地場調査会社レッドシアは、現時点で購入者の70%以上が代引きを利用していると推算している。現金が不足している消費者からの買い控えが起こる可能性は十分にある。

デジタル・ウォレットの挑戦

現金の流通が遅れる反面、増えているのが電子決済の利用だ。クレジットカードやデビットカードに限らず、デジタル・ウォレットの普及が急速に進んでいる。地場最大手のペイティーエム(PayTM)が利用者数を伸ばしている。アプリやパソコンから利用が可能で、専用のアプリに入金しておけば、加盟店舗で決済ができる仕組みだ。アプリを開いてクレジットカードやデビットカード、またはネットバンキングを通じてアプリに課金する。店で買い物をする時は、レジでアプリを起動し、カメラでQRコードを読み取って支払いを済ませることができる。この他、他人の口座への送金や、公共料金の支払いなどにも利用可能だ。高額紙幣の廃止から1週間で、グーグル・プレイ・ストアからのアプリのダウンロード数は5000万件を超えた。アンドロイドの利用者だけで7500万件に拡大。

iOSやデスクトップでの利用者を含めると1億5000万件に達する。実店舗での取引件数は、廃止から6日間で4倍に急増した。ペイティーエムは2017年3月までに月間800万件の取引件数、金額にして40 億ルピーを目標に掲げている。デジタル・ウォレットを展開する他社も、今回の経済政策を商機と捉え動き始めている。3500万人の利用者を抱えるモビクウィック(Mobikwik)は、ネット通販の利用時に、代引きの代わりに同社アプリを通じて支払いができるサービスを開始した。衣料専門のネット通販大手ミントラや生鮮食品を扱うビッグ・バスケットなど数社と提携している。高額紙幣廃止の発表後、同社の取引件数は18倍に拡大。アプリ内への入金は20倍に膨れあがった。消費者がオンライン決済へ流れ始めている兆候と言えそうだ。

他にも、アプリを通じて事業を展開する企業が新たなサービスを相次ぎ取り入れている。例えばタクシーの配車サービスを手掛けるオラ(OLAA)だ。米ウーバーが早くに参入していることからも分かるように、タクシー産業が盛んだ。オラはアプリからタクシーを予約することができ、24時間対応している。現金での支払いも可能だが、事前にアプリ内のデジタル・ウォレットに入金しておけば、利用時に現金で支払う必要はない。今回の高額紙幣の禁止を受け、後払いのサービスも始めた。新興国のインドでは三輪車タクシーが交通手段としてまだ地位を確立している。ただ、多くの三輪車タクシーは現金しか受け付けない運転手がほとんどだ。利用料金は距離によるが、タクシーより約2分の1安い。だが、現金が不足している現状では、オラやウーバーといったオンライン決済を受け付ける業者に顧客が流れるとの見方が強い。

(タクシーでもペイティーエムの利用が可能となっている)

カギはスマホとネット環境にあり

ただ、オンライン決済の普及にもまだまだ限界がある。デジタル・ウォレットの利用には、アプリをインストールできるスマートフォンも手に入れる必要がある。アメリカのシンクタンク、ピュー・リサーチ・センターが18歳以上を対象に調査したところ、2015年時点でスマホの保有率は17%だった。いわゆるガラケーと呼ばれるような従来型携帯電話の保有率は61%で圧倒的なシェアを占めている。さらに携帯電話を持っていない人も22%いるという。

(もともと一般のインド人は銀行を信用していない者が多かったため、今回の高額紙幣廃止で、その不信感がさらに高まっている)

オンライン決済の利用にはインターネット環境も欠かせない。店でペイティーエムのアプリを起動させて支払いをする場合でも、ネット通販でカード決済する場合でも、インターネットが必要だ。現在は18歳以上の22%がインターネットを利用できる環境にあると試算されている。この中にはスマホなど、何からの形でインターネットに接続することができる環境にある消費者が含まれる。日本の浸透率が69%であることから考えると、インドでまだまだインターネットが普及していない現状が見えてくる。

スマホの浸透とインターネット環境の整備が他国に比べて遅れているインドで、オンライン決済の普及はまだ現実味を帯びてこない。ボストン・コンサルティング・グループは、2020年にカードやデジタル・ウォレットを利用したオンライン決済が現行比の10倍に膨れあり、2023年に現金決済を上回ると予測している。ただ、同時に店舗へオンライン決済を受け付けるシステムの導入を進め、販売時点情報管理(POS)の設置数も現行比10倍に増やす必要があると指摘している。そもそも、銀行サービスが浸透していないとの指摘も無視できない。最新のインド政府の調べによると、最後に人口調査が実施された2011年時点の世帯数2億5000万のうち、銀行サービスを利用しているのは59%だった。ATMののが現状だ。

現金ゼロ社会を目指して

インド政府はこの政策をさらに推し進めるために「ペイメント・バンク」と呼ばれる銀行の立ち上げに動いている。ペイメント・バンクは従来の銀行とは区別され、クレジットカードの発行や融資の提供ができない。預金の上限は10 万ルピーまでで、主に小都市や地方の国民を対象にしている。ATMカードやデビットカードの発行はできる。

(庶民の足であるオートタクシーでもペイティーエムの導入が進むが、大都市に限られまだまだ少数だ)

インド準備銀行は2015年に11社に銀行設立のライセンスを付与。今年11月に国内初のペイメント・バンクが始動した。立ち上げたのは、通信大手バルティ・エアテルの傘下、エアテル・ペイメンツ・バンクだ。西部ラジャスタン州で試験的にサービスを開始した。エアテルは国内最大の通信会社。国内全土にサービス店舗を持つ。同社のペイメント・バンクの口座開設や預金、引出などのサービスは、この店舗で受け付ける。このため、追加投資が最小限で済み、国民もサービスを利用しやすいのが利点だ。このほか、IT大手テック・マヒンドラや製薬サン・ファーマシューティカルズ、国営郵政サービスのインディア・ポストなどがライセンスを取得しており、今後は地方を中心とした活躍が期待される。

モディ首相の断固たる決意

実は、高額紙幣が急に廃止されたのは今回が初めてではない。最初の廃止は1946年。1000ルピーと1万ルピーが市場から姿を消した。1954年に1000ルピー、5000ルピー、1万ルピーが市場に再投入され、1978年にまた禁止された。

今回の廃止も含め、冒頭にも述べたように地下資金の一掃が目的と断言している。モディ首相は高額紙幣の廃止を発表した数日後、次のように発言した。「家を捨て家族から離れ、すべてを国家と国民にささげる」国家元首が高額紙幣廃止に委ねた揺るぎない意思が感じ取れる。モディ首相は同時に、国民に50日間の辛抱を呼び掛けた。旧紙幣の預金は年末を境に終了する。それまでの50日間で新紙幣への移行を済ませるという。この期限が過ぎても何らかの成果が見られなかった場合、モディ首相は罰せられることもいとわないと宣言している。政界の要人や金融界の大物らの大半はこの動きに賛成の意向を示している。「これまでインドは不正資金の流入に甘んじてきたが、闇取引に使われる高額紙幣を一夜にして禁止にしことは画期的だ」というのが彼らの意見だ。反対意見は少数派だ。モディ氏の前に首相を務めていたマンモハン・シン氏は、高額紙幣の発表から約2週間後に口を開いた。「国内総生産(GDP)を2%下げることになる」もちろん、何の根拠もなく発言したとは考えにくい。実際に本年度のGDPは昨年度から落ち込むとの見方が強い。地場格付け会社ICRAは、本年度のGDP成長率予測を前年度比7・5%とした。従来の予測から0・4ポイント下方修正している。四半期ベースでは7%を割ると予測する会社も出てきている。今回の高額紙幣の禁止で強いリーダーシップ性をあらわにしたモディ首相。インドを世界有数の経済大国へと導いていけるのか。次の施策に注目が集まる。

【野良猫 のらねこ】

滞印歴2年。都内私立大学の文学部を卒業後、ベンチャー企業などを経てインドへ渡る。日系メディアの記者として、主にインド経済情報を毎日発信している。インドに進出している日系企業にとどまらず、インド大手企業のトップへインタビューを実現させるなど、精力的な取材を続ける。

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