キャリアウーマンとして活躍する タイ人エリートの作り方 ①

容姿端麗、知性と品を兼ね備えた人間──。
1億総中産階級と言われる日本においては、なかなか突き抜けた存在、というのはお目にかかれないものだ。ネガティブな言い方をすると、「出る杭」は打たれてしまうからでもあるのだが。
タイは格差社会と言われる。「持つ者」は半永久的に恵まれた生活を保障されており(信じられないことに、つい最近までこの国では相続税も固定資産税も存在しなかった)、「持たざる者」との格差は開く一方で、それが今日のこの国の社会問題にまで発展している。
そんな中、人口比率でいうピラミッドの頂点に位置する女性と仕事を通じて知り合う機会があった。もちろん、「持つ者」の側にも、歴史、過程がある。彼らとて同じ人間だ。それを紐解くことにより、相互理解が深まる一端になれば、これ幸いである。

習い事だけで13種類

多忙な幼少期を過ごしました(笑)。

 

──いやー、スーパーウーマンの登場にこちらもいささか緊張しておりますが、本日はよろしくお願いいたします。
そんな、スーパーだなんて(笑)。ただただ気ままに生きている人間なんで、記事になるような面白い話ができるかどうか分かりませんが、よろしくお願いします。

【幼年期】

――では早速ですが、ご家族や育った環境についてお聞きしたいと思います。
はい、まずは自己紹介を。ジュンサシサクン・ジャナンヤー、ニックネームはペイと申します。1986年バンコク生まれ。下に弟と妹がいます。父は日本のデジタル制御機器を輸入する貿易会社を営んでおり、母はその会社の人事と経理部長を担当していました。日本で造られた製品をタイに輸入し販売する総代理店であり、いま思えば物心ついたときから日本が身近にあったわけですね。

――なるほど。タイにおける富裕層はだいたい自営業者ですもんね。外国語との出会いは?
日本語との出会いは、やはりアニメや漫画ですね。小学生の時に『セーラームーン』が大ヒットして、その他、『クレヨンしんちゃん』や『るろうに剣心』など漫画に夢中になり、自分でもよく漫画を描いていたのを覚えています。学習、という意味では、最初に取り掛かったのは英語で、小1から学校の授業にありました(囲みコラム参照)。小4の時には親の勧めでアメリカのロサンゼルスに短期留学する機会があり、そこでモチベーションが著しく向上しました。中3の時に政府による奨学金でシンガポールへ本格的に留学し、その後の2年間をシンガポールで過ごしたことにより、英語のスキルが飛躍的に向上しました。

――それが、TOEIC:990点(990点満点)、TOEFL:109点(120点満点)という驚愕のレベルへと至るわけですね。
一般の人に比べたら、かなり高いほうだと思います。ただ、後に進学するタマサート大学の英語プログラムでは、帰国子女や外国人とのハーフの子が大半なので、1学年(約100人)にはそういう点数の子が大体5〜10人います。社会人になってからは、日本でもタイでもこのレベルの人に出会うことはめったにないですが……。

――進学校の中のエリートクラスで、その上位10%に当たり前のように入ってしまうことが驚き以外の何物でもないんですが……。日本語のほうは?
シンガポール留学時代、向こうで少年ジャンプが売っていたんですが、それを読みたくて独学で勉強を始めました。辞書なんかも自分で買ってきて。実は、このシンガポールに留学したことにより、中学~高校6年間の課程を4年間で終了してしまったんですね。いわゆる飛び級ってやつです(※現在は、この飛び級制度は廃止)。
大学進学までの2年間、時間が余ってしまったので、ここでも私のたっての希望で日本の高校へ留学することになりました。千葉にある幕張高校という学校ですが、1年間ホームステイをしながら学園生活を送ったんです。この期間はいま思い出しても夢のような生活でしたね。
日本の高校生の制服を着て、自転車に乗って通学して、部活をしたり、体育祭や文化祭を友達と一緒に参加したり、お昼は皆でお弁当食べたり(タイの学校は小4までは給食で、それ以降は食堂で各自食べる感じでした)。漫画の中で見た憧れの生活がそこにはありました(笑)。ホームステイ先でも積極的に日本語で会話し、ここでの1年間で信じられないくらいあっという間に日本語が出来るようになったと感じています。

――その他にもお母さんが教育熱心だったとか?
そうなんですよ。父は割と放任でしたが、母が教育に熱心であり、あらゆる習い事をやらされました(笑)。テニス、卓球、乗馬、ダンス、バレエ、フルート、ピアノ、エレクトーン……。すごいでしょ(笑)。でも、私自身も常に何か新しいことにチャレンジしていたい子供だったので、どれも嫌々ではなく楽しんでやっていたのを覚えています。

――いやはや、凄い……。それを実現するには相当な財力も必要ですよね。
はい。良い教育のチャンスを与えてくれた両親にはとても感謝しています。

 

 

キャリアウーマンとして活躍する タイ人エリートの作り方 ②

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川越渉(かわごえ・わたる)Kamin BCNT代表

日本で雑誌編集者として業務後、39 歳のときに一念発起し、タイへ移住。1年間大学にてタイ語を勉強した後、通訳兼コーディネーターとして大手電機メーカーに勤務。日系新聞社での勤務を経て、4年前より起業し、ゲストハウス経営、展示会オーガナイザー、通訳などの人材派遣業を手掛ける。在タイ8年目。

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