キャリアウーマンとして活躍する タイ人エリートの作り方 ②

 

キャリアウーマンとして活躍する タイ人エリートの作り方 ①

 

タマサート大学を首席で入学は私の礎となっています。

 

【大学時代】

――さて、そんな楽しい留学生活などを送った後、タイの名門大学・タマサート大学へ進学することになります。この時、なんと首席での入学だったとか。
はい、おかげさまで。TOEICとSATの得点が考慮され、その年の首席に与えられる資格として、1年間の学費免除と奨学金1万バーツをいただきました。小さい頃からのすべての努力が報われた気がしましたし、結果が英語、数学ともほぼ満点でしたので、とても満足のいくもので嬉しかったですね。ここでは、授業がすべて英語で行なわれる英語プログラムのBBA、日本でいうところの商学部・経営管理学科に在籍しました。

――タイの大学御三家の中でも最高峰と称されるチュラロンコン大学を選ばなかったのには何か理由があるんですか? あなたの学力ならどちらでも選択できたかと思いますが。
私が志していた経営学を学ぶ場合、タマサートの英語プログラムのほうが歴史があり、カリキュラムや講師も質が高いとの評判だったからです。文学や医学の分野ではチュラロンコンのほうに伝統がありますが。あとは、実家から通いやすいからというのも大きな理由です。留学生活が長く、家族と一緒に暮らす時間が少なかったですからね。

――大学在学中、日本へ留学するんですよね。交換留学ですか?
実は……そんな恵まれた環境で迎えられたにも関わらず、2年生の途中で自主退学してしまったんです。理由は、日本への想いを断ち切ることができず……。

――え!?そうなんですか。交換留学ではなく、単身日本へ向かった、と。

はい。ただ、ここでも日本の文部科学省が実施している、「国費外国人留学制度」を利用しての留学です。

――なるほど、ここでも奨学金なんですね。この制度の条件はどういうものですか?
まず、高校3年間のGPAが、3・8以上が条件(日本でいう、優・良・可に該当。優もしくは秀を満点の4点として換算)、文系の試験は英語、数学、世界史の筆記試験(当時)と英語と日本語による面談もありました。応募者約1000人の中で8名のみ合格、という難関でしたが無事突破し、学費の全額無料、往復の航空券、毎月13万円のお小遣いをいただく、という破格の条件で学業に従事することができました(以上、当時の条件。現在の規約は、文部科学省のウエブサイト、もしくは在外日本国大使館(例:在タイ日本大使館)のウエブサイトに記載)。

――1年間の大阪外国語大学(現在は大阪大学に統合)での学業を経て、国立の名門・一橋大学へと進学するんですよね?
はい。「やるからには全力を尽くす」、がモットーの私としては、第1志望は東京大学でした。ですが、顧問の先生との面談の際、「将来は起業したい。国境を越えた仕事がしたい」という希望を伝えたところ、先生がその適性を見抜き、一橋大学を推薦してくださったんです。ちなみに、東大へ進学したのは私の同級生のモンゴルの学生だったんですが、彼は世界数学オリンピックで銀メダルを獲るほどの優秀な学生で、将来は官僚になりたいと言ってましたね。
一橋大学では、商学部に4年と大学院である商学研究科での1年、トータル5年を過ごしました。ここでは、学業にとどまらず、サークル活動、アルバイトなど日本の大学生が体験するものと同じものに積極的にチャレンジし、言葉だけではなく、文化や風習、日本人の気質に至るまで、多くのことを知ることができました。サークルは、テニス、アカペラ、ストリートダンス、空手部のマネージャーなど。バイトは、居酒屋さんやi-podのデモンストレーター、そうそう、湘南にある海の家でのバイトはほんと楽しかったなー(笑)。
真面目なところでは、公益財団法人が主催する「留学生が先生」というプログラムにおいて、日本の小学生や中学生たちにタイのことを知ってもらう講義を行なったりしましたね。これも自分にとって、とても良い経験になったと思っています。

――日本の大学生に対する印象はいかがですか?
そうですね……。残念なところとしては、「あまり勉強をしない」ということですかね。ただ、大学であまり勉強しないぶん実社会で多くの経験をしていると思います。タイの大学生は親からお小遣いをもらって生活し、自分で稼ぐという経験が乏しい。それと比べ、日本の大学生はバイトで自分の遊び代を稼ぐどころか学費を自分で払う人もいます。自分が使う金は自分で稼ぐ、という大人と同じことを早い段階で経験するわけですね。

――恋愛なんかも謳歌したのかな。
そうですね……(笑)。初めてのちゃんとした彼氏が出来たのもこの時でしたね。タイにもボーイフレンドはいましたが、お子ちゃまの恋でしたから(笑)。ただ、夏休みに帰省した際、「あれ? 彼氏と離れ離れでもぜんぜん寂しくもないし、恋しくもないな。これってほんとの恋じゃないのかな?」と思ってしまい、その後ほどなくして別れてしまいました。私、恋愛体質ではないのかもしれませんね(笑)。

 

日本の企業が持つ独特な雰囲気には悩まされました。

【社会人時代】

――トータル6年間の日本での大学生活を終え、その後は結局日本で就職する道を選んだんですよね。
はい。やはり、せっかく培った経験と語学を仕事に活かしたい、と思い、就職活動を行ないました。もともとアニメやゲーム好きな人間だったので、仕事もこっちの関係で行きたいと思い、大手ゲームメーカーを9社ほど受験し、結果、任天堂さんに就職が決まりました。
2012年のことですね。ここでは望みどおり実務研修を多く積むことができ、「日本人と同じ仕事をする」が叶った素晴らしい時間を過ごしました。ただ、私にとって残念なことがあり、わずか1年あまりで退社することになるんです……。
それは、配属されたアジア事業部がリージョンコードなど技術的な問題でうまくたち行かず、結果として人員が余剰してしまうような状況になってしまったんです。また、外国人の新入社員としては、大手企業ならではの保守的な雰囲気、日本的制度である年功序列などにも馴染むことができず、常にストレスを抱えながらの生活でした……。

――そんな折、転職のチャンスが……
はい。東京にあるMONOCOさんという通販の会社なんですが、ちょうど立ち上がったばかりの若い会社で新規のスタッフを募集しており、東京での生活を望んでいたこともあって(任天堂時代は本社のある京都に勤務)、即決しました。この会社は、海外で買い付けた商品を日本国内で流通する、というビジネスモデルを取っており、私は語学を活かす形でバイヤーを担当しました。ここで、あらゆるジャンルの数多くの商品を目の当たりにし、自分の中で眠っていた欲望、「自らデザインを行なってみたい」に気づくことになります。これは自分にとっても少し驚きでした。そして、この衝動を抑えることができなくなり、翌年の2013年末、タイへ戻ることを決意するのです。

 

キャリアウーマンとして活躍する タイ人エリートの作り方 ③

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川越渉(かわごえ・わたる)Kamin BCNT代表

日本で雑誌編集者として業務後、39 歳のときに一念発起し、タイへ移住。1年間大学にてタイ語を勉強した後、通訳兼コーディネーターとして大手電機メーカーに勤務。日系新聞社での勤務を経て、4年前より起業し、ゲストハウス経営、展示会オーガナイザー、通訳などの人材派遣業を手掛ける。在タイ8年目。

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