タイから中国に進出した現代の華僑(下)

兄弟で事業展開して成功した

 

タイから中国に進出した現代の華僑(上)

 

蔪春県の人脈が中国進出のきっかけ

 

汪友紅氏にとって、今回の中国訪問は中国に初の自社工場を造る起工式という重要なイベントの実現だったが、毎晩続く役所幹部との夕食会が終わってからは工場生産とは関係がない地元の友人とのもう一つの夕食会も掛け持ちで毎晩出席していた。これは同氏が仕事外の付き合いも大切にしていることを意味している。

蔪春県の人口は100万人、工場を建設する同県内の漕河鎮には20万人が住んでおり、労働力は豊富。現在の中国のワーカーの給与水準は「東莞や武漢で月4000元(約7万円)、蔪春県では2500元(約4万3000円)でタイでは3000元(約5万2000円)」と、汪友紅氏は蔪春の給与水準がタイよりも安いことも進出メリットだと強調する。

蔪春県にはこれまでのところ工場が極めて少ないが、地元政府高官からは日系の衣料工場が1社だけ進出していると聞いた。金型を製造するために必要なモールドベースやスペアパーツは武漢や武漢と蔪春の間にあり工場も多い黄石市から仕入れることができると汪氏は説明した。

東莞市で智鴻塑膠を経営する実兄の汪有志氏もそうだが、産業が無い蔪春県からは多くの人が東莞市に出稼ぎに行っており、汪有志氏のように起業して成功した蔪春人も多い。しかし、蔪春には工場がないだけに生産活動にすぐ従事できる人材は少ない。今回、汪兄弟が蔪春県進出を決めたきっかけも東莞市での蔪春県人の同郷のよしみからだった。そこで蔪春工場が完成後も東莞市でのモノづくりですでに経験を積んでいる蔪春人を東莞市の給与と同水準で湖北泰中模具がスカウトしようと考えている。汪友紅氏が社長をつとめるタイのトップ・モールドで育ったインド人の設計者やエンジニアに中国工場に移動してもらう方針についてもすでに決めている。

東莞の智鴻塑膠模具では2年前までは300人の従業員を抱えていたが、これまでに半分の150人に減らしたが、生産はまったく落としていない。これはロボットを中心にして生産を無人化、全自動化させる省力化に成功したもので、さらに全自動検査機の導入を進めて100人体制にすることを目指している。タイのトップ・モールドでもオートメーション化を進めて人員削減を行ない、現在は120人ほど。ミャンマー人やカンボジア人の従業員数のほうがタイ人より多い現状になっている。人材派遣業者に日給ベースで「20〜30%ものマージンを支払う」ため、ミャンマー人を雇う方がタイ人を雇うよりも経営者側のコストは膨らむが、それでもミャンマー人を採用するのは労働の質が高いからだ。

「タイ人従業員は残業手当がついても残業を拒否する人が多いが、ミャンマー人従業員は全員が喜んで残業に応じてくれる。タイ人には自動化装置を誤った使用方法で壊す人がいたりして、頭が痛い」と汪さんは嘆く。

建設を始めた蔪春の中国工場では操業開始時点からロボットなどを導入した省力化工場として実現させ、兄のスマホのイヤホン生産を除く汪友紅氏の関係の生産だけで当初100人規模でスタートさせる考え。

タイのトップ・モールドは会計マネージャーをしている汪社長のタイ人の奥さんが51%の株式を保有、汪友紅氏は49%を保有している。創業して6年後の2007年には工場内で輸出向け部品製造のトップ・プラスチック社も設立しており、輸出が多いことからこの会社では100%の株を汪氏が保有する企業としてタイ政府投資委員会(BOI)認定企業となっている。そして各種プラスチック成型部品の他、金属プレスも導入して金属部品の製造もしている。顧客はタイで操業している日系の部品メーカーが7割を占め、携帯電話、2輪や家電、自動車のランプ向け部品も手掛けている。

バンコクの展示会に出展することも多いトップ・モールドの汪友紅社長とはその会場で会って話したりすることがあったが、2017年になって久しぶりにタイ東部チョンブリ県の工場に訪問した。久しぶりに工場で会った汪さんは会うなり、「タイで創業してからもう16年が過ぎましたが、タイ人のマネージャーは品質管理の1人だけしか育っていません。工場にタイ人が定着してくれず、人材が育たないという深刻な問題を抱えて悩んでいます」と現状を率直に説明してくれた。タイで創業したころの汪社長は、「いつかタイの証券取引所に上場を目指したい」と言っていたが、創業して16年が過ぎた現在、「上場はとても無理だから諦めました」と汪さん。

トップ・モールドの7ライ(1ライは約1600平方メートル)の工場と従業員数120人規模という現状の業容は2001年にタイの道路から工場内が丸見えの金型工場だった時代に比べると、ずいぶん大きくなったものだと感心していたが、汪さんにとってはまったく不満のようだ。タイ人の奥さんとの円満な家庭を持つ汪さんはタイでの事業縮小などはまったく考えていないが、タイでの金型や成型のビジネスではタイ人が育たないという人の問題からタイでの経営拡大については限界を感じ続けているという。

 

タイ工場は従業員の半数以上が外国人

 

トップ・モールドでは創業以来、技能の蓄積が求められる金型を製造するメーカーとしてタイ人の従業員の育成を図ってきたが、「せっかく教え込んでもタイ人はすぐにやめてしまう。人の問題はまったく頭が痛い」と汪さん。タイ人は基本的に油にまみれる3K(きつい、汚い、危険のイニシャル)労働を嫌う。入社を検討するためにトップ・モールドの工場見学に来るタイ人は職場に「冷房が入っていない」ことを知っただけで帰ってしまう人が多いという。同社工場の近くには日本の大手を中心に、ボーナスも良く、工場もきれいな企業が多数入居しているアマタ・ナコーン工業団地があり、地元のタイ人は雇用条件が良い同工業団地の進出企業に足が向くようだ。

そこで汪さんは外国人の採用を増やさざるを得なくなり、タイ企業ながらこれまでに従業員数はタイ人よりミャンマー人など外国人の方が多くなった。久しぶりに訪問した汪さんの工場ではかつてゼロだったインド人のエンジニアや設計者など、従業員の半数以上が外国人になっていた。

工場の従業員数は120人ほどだが、多い順にミャンマー人50人、タイ人45人、カンボジア人15人、中国人2人、インド人が数人。かつて設計部門に10人ほどの中国人がいたのだが、これまでにインド人のプログラマー、設計者に代えて、CAD(コンピュータ支援設計)、CAM(同製造)などを担当させている。

「さらにインド人エンジニアを増やしたいが、労働許可証の取得が難しい」と汪さん。金型設計などをしていた中国人従業員の多くは「独立してタイに自分の会社を起業しただろう」と、自らも過去にタイで香港系企業から独立した経験を持つ汪さんは推測している。

インド人従業員は「南インドのチェンナイやバンガロールなどから来てもらっている。インド人は仕事熱心です。採用に当たってはインド国内の人材募集の英語サイトから探し出しました。インド人は大卒者で月5万バーツ、高卒で3万バーツほどの給与から始まります。インドで同様の仕事では月1万バーツほどの給与だそうだから、当社で働けば、その数倍以上が稼げるメリットがあります。インドからの往復旅費は当社で負担しています」と汪社長。

「インド人はみな英語ができ、コンピュータの能力も高く、中国人より仕事が進みやすい」と汪社長は評価する。汪社長がこっそり教えてくれたところによれば、同社の中国人にはインド人よりもかなり高い水準の給与を支払っている。

工場内の脇にある建物は50部屋がある従業員寮で、寮費は無料であることから、各国から来ている従業員に人気がある。だが、節約意識をもってもらうため、電気と水道代については部屋ごとに支払う制度にしている。

 

 

中国の故郷に錦を飾る汪兄弟

 

汪兄弟の生誕地は現在でも母や妹が住み、コメや小麦、食用油をとる菜種などの生産農家。幼少の汪兄弟は中学までは長距離を歩いて通い、高校は学校のそばで他の学生と共同生活し、2週に1度は自転車を数時間こいで実家に戻るという日々だった。そして、兄弟とも高校卒業後は仕事がある東莞市に出て台湾系の金型工場に就職した。就職してから4〜5年が過ぎたころから兄弟ともに「いつかは自ら起業したい」と考え始めたのは、当時の実家のあまりにも貧しい生活を向上させたいからだった。

今回、汪兄弟が工場を建てる蔪春県漕河鎮の町から30分余り車で走った農家に汪兄弟の母(76歳)に会いに行った。父親は5年ほど前に大腸ガンで亡くしている。最近の中国の農家の実情も見てみたかった私は小高い丘が多い汪兄弟の実家に着いたとたんに驚嘆した。実家の付近の汪家を含む近所の人が保有する地域を初めて舗装し、道路の脇には公衆トイレや健康用具を設置して、フィットネス・トレーニングができるようにするといった地域整備の工事を汪友紅氏がすべての費用を負担して進めているのを見たからだ。10人ほどの地元のワーカーが笑顔で働いていたが、初の中国での新工場で多大な投資を始めた段階で工場とはまったく関係がない地元貢献している汪さんに感心した。汪さんの実母は「中国に工場を造るためにタイから戻って来てくれたことは大変うれしい。しかし、工場を造るために銀行からの借金もあると聞く。だから素直に喜んでばかりしておれない」と心配していた。

汪友紅氏はタイで3社目の「アイケア(AI CARE)タイランド社」をこのほどタイ商務省に登録、ロゴもできた。タイでも爆買いする中国人観光客を主対象に電動歯ブラシ、電子タバコといった健康関連の器具を開発して製造販売する方針だ。工場進出する蔪春でもタイのアイケア社に対応する湖北艾欣源艾業有限公司を設立した。アイケア社のロゴにはお灸で使う艾(もぐさ)をデザインしたものを採用している。蔪春は中国初の規模で薬草などを研究して「本草項目」を書いた李時珍の生誕地で、同地で亡くなるまで活動した場所として知られる。毎年2回の李時珍名の交易会が開催され、中国の漢方薬店300店が進出している湖北李時珍中薬材市場もあり、李時珍名のお灸治療の病院、街の大通りの名など、あちこちに李時珍の名があふれ、町おこしに利用している。汪友紅氏はこのような伝統がある地域でタイと中国で売れる健康関連の商品を開発し、その商品の本体やケースは同社の金型で製造し、製品はタイの他、中国でもショッピングサイトである「タオバオ(淘宝網)」などを通じた販売を中国でも開始する。

 

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松田健(まつだ・けん)

アジアジャーナリスト。元日刊工業新聞記者。主な著作には、『タイで勝つ!! 直感力こそ成功のカギ』(重化学工業通信社)、『今こそフィリピンビジネス─アジア投資の穴場』(カナリア書房)、『魅惑のミャンマー投資』(カナリア書房)などがある。

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