タイで製造業を営む経営者座談会

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物造りニッポンの屋台骨を支える男たち

タイで製造業を営む経営者座談会

かつて、本田宗一郎がミカン箱の上から日本の未来をとうとうと語ったように、戦後焼け野原から奇跡の復興を遂げた現在の「経済大国ニッポン」の礎を担ったのは、町の工場で働く人たちである。
時代は移り、多くの製造業がその拠点を海外へと移す中、たゆまぬ努力とあくなき挑戦を続け、日本経済を根底から支える製造業の担い手たち。

そこに従事する人たちに敬意を表し、幾度何べんでもスポットライトを与えることこそ、我々メディアの使命であると考え、当企画に至った次第である。

すべての物造りに関わる人たちは、真摯な気持ちを持って、彼ら先輩方の言に耳を傾けていただきたい。

 

【座談会参加者】

A: 我孫子和久さん(仮名) 工業製品製造会社オーナー、66歳。
B: 粂孝之さん(仮名)   金属加工機器製造会社オーナー、65歳。
C: 岡山一郎さん(仮名)  一部上場製造メーカー現地法人社長、63歳。
D: 近藤正孝さん(仮名)  事務機器メーカー工場長、58歳

 

物を造ろうとしても部品がなく、支払いは全て前金だった

──本日はお忙しい中、タイで製造業を営む経営者および工場責任者の方々にお集まりいただきました。日本の誇る製造業の、第一線でご活躍されている皆さんのお話を聞けるとあって、わくわくしているところです。では、さっそく自己紹介からお願いします。

A:バンコクの郊外に工場を所有しています。2007年創業なので、丸11年になります。従業員はすべてタイ人で、6名の社員を抱えています。

B:私は1998年に工場を創業、全盛期は3つの工場をまわしていましたが、景気の波もあり、現在は1か所に集約しました。タイ人の社員を7名抱え、同じくバンコク郊外で事業を営んでおります。

C:私はオーナーではなく、現地法人の代表という肩書きではありますが、タイ赴任6年目、工場は同じくバンコク郊外にあり、従業員数は10名ちょっと、日本人駐在員が私を含めて2名という体制でやっています。

D:私も同じく現地法人の工場長として業務に従事しており、今のところが2001年からなので、かれこれ17年になりますね。会社は同じく郊外にありますが、皆さんの場所とは少し離れたところにあり、従業員数は50名余り、私以外は全員タイ人の会社です。

 

──タイに進出された経緯、事業の具体的な内容をお聞かせいただけますでしょうか?

A:もともと大阪にて、ダイカスト、鋳造(ちゅうぞう)*1の関係の仕事をしていたのですが、本格進出の3年ほど前よりタイに法人のある取引先の機械の立ち上げで頻繁に訪れる機会があり、こちらでもパテント(特許)の申請が通ったのをきっかけに会社を設立することとなりました。取引先は日系が95%、残り5%がローカル企業という感じですが、主に金型メーカーさん、金型の冷却配管の製造・販売を生業にしています。

*1ダイカスト(die casting) とは、溶かした非鉄金属の合金を精密な金型に高速・高圧で注入し、瞬時に製品を成形する鋳造技術のこと。鋳造とは金属を溶かして液体にし、型に流し込む加工法のこと。

B:我孫子さんは、私から言わせると、「特許製品のアイデアマン」ですよ! いろんな企業から出資を募って、特許をたくさん取ってるんですよね?

A:代わりに説明いただき、ありがとうございます(笑)。はい、おかげさまで、世界12か国でダイカストなどの特許をいただいています。では、私のことはこれくらいにして、粂さんどうぞ(笑)。

B:バトンをパスしていただきありがとうございます(笑)。私の場合、古い話になりますが、取引先であった某会社のお偉いさんから、「休眠中の会社があるんだけど、君のほうでやってみないか?」と、その会社を譲り受けたのが、1998年の話です。その前にもタイとの取引は行なってましたが。私の会社では、いわゆる大物加工*2を製造しており、メイン・クライアントはいま世間を騒がせている日産さん(笑)。日産さんからはここ3年の間、優良サプライヤーとして表彰をいただいています。私の会社も取引先の9割は日系の会社ですね。

*2大物加工とは、大きな製造物、つまり機械の土台になるガタイ(フレーム)を製造・加工すること。

C:私の場合、駐在員なので、シンプルに会社から命令があったのがきっかけです(笑)。本社は大阪にあり、主な取引先は自動車メーカーさん、その他エアコンの部品などを製造しています。部品は基本タイで購入していますが、取引先の9割は同じく日系企業です。粂さんのとこも重要な取引先なんですが、いつも苦労させられています(笑)。

B:あちゃー! いつもご迷惑お掛けしてます(笑)。こちらの会社さんはとても優秀で、月コンスタントに3台の新製品を製造してますよね。じゅうぶん工場はまわっていくと思いますよ。

D:私どもの会社も、取引先のメインは自動車業界です。車関係の機械の設計、製作をオーダーメイドにて行なっています。その他、事務機器などの設計・製作など。私がタイに移り住んだ時期は、いわゆる日系企業の海外進出第2波なんですよね。1990年の前半くらいからそれまでの白物家電メーカー中心であった海外進出から精密機器メーカーの進出へと推移し、ここタイでもプリンターのキヤノンさん、カーオーディオのパイオニアさん、カメラのニコンさんなどが進出してきて、インフラ投資のブームが巻き起こったという流れですね。私もそのブームに乗っからせてもらった、というとこでしょうか(笑)。ですが、その当時は製造しようにも物がまったくない状態で、ネジひとつ取り寄せるのも本社に連絡して郵送してもらう、という状況でした。今でこそこちらで何でも購入できますが。

A:確かにそうだったね。ローカル企業はとにかく「現金商売」が基本であり、何買うにも前金前金。日本の企業との商慣行の違いもあり、そこの隙間で我々が便利屋として重宝されたんだよね。当時でもヤワラー(中華街)に行けば何でも揃ってたなぁ。

B:2000年頃かな、MISUMIさんが進出してきて、だいぶ楽になったよね。当時は値段も高かったけど。そう言えば、近藤さんの会社の創業には僕も携わっていて、社名は僕が考えたんだよ!

C:さすが、タイの生き字引き!

サラリーマンと違って景気の波をダイレクトに受ける

──長らく事業をされていると、山あり谷ありではないですが、いろいろ大変なこともおありだったかと思います。印象に残っていることはありますか?

B:こっちで商売してると、世界的な景気の波をモロに受けますよね。日本でサラリーマンやってたときはあんまり感じたこともなかったんだけど。ちょうど会社を譲り受けた頃起こったのがアジア通貨危機。あのときは、バーツの価値が半分になっちゃって株価が90%下落したってんだから恐ろしい話だよな。後は、2008年に入ってからのリーマンショック、鶏インフルエンザなんても流行った。いずれのときも仕事なんてぜんぜん入ってきませんよ。開店休業状態。

D:2008年には国際空港がデモ隊に占拠された、なんてのもありましたね。あのときも物流がストップしてしまい、仕事になりませんでした。でも、自身最もトラウマになっているのが2011年の大洪水。あれって雨季はもう終わりかけで外は晴れてるのに水が北からずんずんずんずんやって来る、という心理的な恐怖もたっぷりでした。物流がストップするのもさることながら、従業員の家がみな流されてしまって、まったく仕事どころじゃないってとこでしたから。

 

──タイで事業を展開しているにあたり、当然のことながらタイ人をうまく使っていかなければなりません。いろいろご苦労されてますか?

B:いろいろ言いたいことはありますが、一言でまとめると、想像力の欠如。応用力のなさ、とも言い換えられるかな?

一同: その通りですね!

B:会社の問題点を掘り起こして、地道にカイゼン(改善)を重ねる。日本人および日本の会社では当たり前に行なわれていることだが、こういうことは基本的に期待しないほうがいいね。

C:タイの従業員は一般的に処理能力が低い印象ですね。処理できる案件は目の前のひとつだけ。ホウレンソウ(報告、連絡、相談)ができない人が多く、毎日こまめに状況を聴取してコントロールするのが1番だと考えています。ある日、新米のタイ従業員に客先への納品を頼んだところ、夕方遅く帰ってきて何か怒っていたので様子を聞くと、道に迷って近くの人に尋ねたところ嘘を教えられ2時間彷徨っていたとのこと。赴任当時、タイ人に道を聞く時は3人から聞けと教えられていたのが冗談でなく本当だったんだ、と分かった次第です。

A:お客さんから提案だけあって、それを機械として具現化してくれというオーダー、つまり白紙の状態から何かを作り上げるという案件にはタイ人は100%対応できません。ですが、見本があってこれに似たものを造ってくれ、というオーダーであれば、彼らは出色の能力を発揮します。手を抜くとこはしっかり抜いてね(笑)。

B: 想像力の「欠如」ではなく、想像すること自体を良くないこと、と教えられているフシさえあるよね?

D:同感です。これは私個人の考察ですが、一般的な国民は小さい頃から王室を崇拝することと仏教の教義を完璧に教え込まれています。私はこれをプログラムされている、と呼んでいるのですが、これが根底にあるので、革新、改革、もっと言うと、革命などは発想できないようにできているのではないか、と思っています。

A:なるほど。国家による一種のマインドコントロールって奴やね。

 

日系がローカルとの相見積もりで負けるのには理由がある

──皆さん、苦労されているようですね。その他業務においてどのようなご苦労がおありですか?

A:私は60歳になるまで手書きで図面を起こしていたんですが、今は3Dのキャドを使って図面を作らないと話になりません。製造業に従事するタイ人は2Dの図面では完成形をイメージできないんですね。あとはバックマージンの問題かな……? 見積もりをあげた際、「価格はこれでオッケーです。が、請求書にはここから15%乗せた額を記載してください」とかね。もちろん、ローカルが担当の場合ですよ。

B:あるねー! つい最近知ったんだけど、タイ人の優秀なセールスマンって、ある同じ専門学校を卒業している同窓が多いんだって。なので、横で連絡を取り合ってそういう悪巧みしてるんだってよ。

A:それもこれも、日本人の責任者に専門知識を持つ人材が乏しく、権限を有していないのが根本的な原因なんだよな。ローカルのマネージャークラスが挙がってくる数字にただ判を押すだけ。ローカル企業が挙げてくる見積もり価格にはカラクリがあって、必要最低限のものだけが計上された価格。そこから何だかんだ付属品がくっついてきて、結局は相見積もりの相手より高くなってるというがパターン。サイン権を持つ駐在員の任期が2~3年周期でコロコロ変わることによる弊害でしょうね。ちょっと話が逸れますが、ある日本のメーカーさんが日系のサプライヤーと韓国のサプライヤーとで相見積もりを取った際、日系が提出した設計図面から何まで情報を韓国側に渡してしまった。当然、韓国のメーカーはそれより安い見積もりを上げ、結局こちらが採用された。だが、出来上がった機械がぴくりとも動かない。そこには隠れたノウハウが中に隠されているわけです。駐在員が任期中の支出削減にしか関心がないから、このような愚かなことをやってしまうわけです。

B:だから、ローカルが直接の担当で相見積もりになったら、我々は100%勝てないよね。やっぱり良心と責任感があるから。私が知っているブラックな話では、とある会社のローカルマネージャーが、受注の際自らが作った架空の商社3つほど間にかませて、そこから各々マージンを取っていた。結局それは明るみになって、このタイ人はクビになったんだけど、会社の損益が年間54万バーツだって! 製造機械3台の採用をちらつかせ、3台分の見積もりと図面を出させ、1台採用後、残り2台は提出した図面を元に他社に作らせる、なんてのもアルアルだよね(笑)。

──日系企業にも組織運営含め構造的な問題がありそうですね?
A:端的に言って、日本の会社は商売が下手くそやね! 相変わらず井の中の蛙から脱却できていない印象です。JISとISOのダブルスタンダード*3 なんかは顕著な例でしょうね。近藤さんもさっき言っておられましたが、昔は日本から持ち込んだボルトに合わせるナットをこちらで購入しようとした際、規格が統一されていないので適合するかどうか1個ずつ合わせてみないといけなかったくらいですから。さすがにここ5年くらいの間でISOの規格統一化が進み、ほとんどなくなりましたけどね。あとは、日本が誇る「物造り」についても注文があります。相変わらず見えないとこ、細かいとこにこだわり過ぎ! 過剰品質ってやつですわ。「技術力のニッポン」と言うのであれば、価格を安くする技術もあってしかるべきでは? と思うわけです。ある測定器を製造する企業さんの話なんですが、この会社の製品の売りは1000分の1まで測定できること、なわけですが、精密さを求めれば求めるほど不良率が高まるのは必然で、その不良品をどうしているかというと、すべて廃棄しているんですって! 国際市場では100分の1の精度でオッケーという需要もあるわけで、もし会社のブランドを気にするのであれば、別会社にしてそれを売ればいいやん、って思うわけです。このへんの感覚的なところが、いかにも日本的であり、その真反対にいるのが中国企業、ちょうど良くバランスが取れているのが台湾企業、という印象であり、海外にはライバルが山ほど待ち受けているわけです。

*3 「JIS」と「ISO」は、いずれも工業製品などの規格のこと。「JIS」は工業品などに関する日本国内の規格であり、「ISO」は国際的に標準化された工業規格。

このままだと日本の製造業に未来はない

──「物造り大国ニッポン」の未来はどうなっていくのでしょうか?

A:自分とこの事業、いま現在の収益に終始しているのが気になりますね。後継者不足、が深刻な問題なのではないでしょうか? 経営者に夢とビジョンがなく、ただ金が回っていれば良し、だと、後を継いでやろうという後継者を期待する方が間違っていると思います。私などもそうでしたが、親父が借金してでも新しい機械を入れる、それを息子である自分が使いこなし収益を増やすことによって、親父の背中を超えていく。これこそが発展の源だと思うです。クライアントにとっても、技術力、製品開発力の観点から他に替えがきかないサプライヤーには仕事を振り続けると思うんです。ですが、今の製造業にはそういうのがなくなってしまった。これは経営者の資質に拠るところが大きいと思うんですね。

B:一番の問題は、業界自体に魅力がなくなってしまったことだと思いますね。だって、今の現状を見て、誰が後を継ぎたいなんて思います? 親の代で工場を売っぱらってしまって、せがれがサラリーマンの道を選ぶのも無理はないと思いますよ。社会全体が効率性、競争原理を導入し過ぎるがあまり、どんどんどんどんコストダウン。これには行政のテコ入れなくして解消はできないと思うんですけどね。

──話も深まってきたところですが、最後に皆さんの今後のビジョンをお聞かせください。

B:いま一番の関心事は、自分があとどれだけ生きるかってことなんだけど、皆さん知ってます? 我々の世代の平均寿命は90歳に届くかもしれない、って。となると、80歳までは働かないとダメだね。

A:私も特にゴルフなど趣味があるわけではないし、体が動く限り現場で働いていたいね。実は日本にいる孫より年下の(笑)10歳になる娘がこちらにいるんで、まだまだ頑張らないと! 岡山さんは定年後どうするの?

C:私は、社長とは言っても雇われなんだけど、やっぱりタイはいいですよね。我孫子さん、粂さん、その節はお願いしますよ(笑)。

 

川越渉(かわごえ・わたる)
Kamin BCNT代表

日本で雑誌編集者として業務後、39歳のときに一念発起しタイへ移住。1年間チュラロンコン大学にてタイ語を勉強した後、通訳兼コーディネーターとして大手電機メーカーに勤務。日系新聞社での勤務を経て5年前より起業しゲストハウス経営、展示会オーガナイザー、通訳などの人材派遣業を手掛ける。在タイ11年目。