ミャンマー語と他言語との考察と研究 (上)

日本人が習得するのは難しい

せっかくにミャンマーにいるのだから、この国の言葉をマスターして、交流を深めたい、と考えている邦人も少なくない。
しかし、ミャンマー語(ビルマ語)の文法はともかく、発音と丸文字の読解が我々には難儀だ。
そこで今回はこのビルマ語について勝手な考察をしてみた。

 

仲良くなるためにはまずは言語から

ミャンマー人と話す機会があれば、何でもいいから覚えたてのミャンマー語を一つ二つ口に出してみるとよい。先様はすぐに相好を崩し、本当に眼を丸くする。
そして、すぐに打ち解けた雰囲気に変わるはずだ。邦人のなかにはそうした経験をした方も少なくないようだ。

これは、相手のミャンマー人が、まさか日本人が自分たちの国の言葉をしゃべるなどとは夢にも思っていないからだろう。我々が日本で外国人から「オハヨウゴザイマス」などと言われたリする驚きよりも、彼らにとってははるかに衝撃的なことなのかもしれない。
もちろん、ビルマ語は難解な言語である。文字、発音、ともに習得するには相当な忍耐と努力がいる。また、たとえ少し分かるようになっても、ミャンマー人には通じない場合も多い。こちらがビルマ語をしゃべっていることが彼らには想定外だし、仮に分かっていたとしても、まず発音でつまずく場合が多い。

ビルマ語は、「シナ・チベット語族」の「チベット・ビルマ語派」に属し、ミャンマーの総人口の約70%を占めるビルマ族が母語とする言語で、アジア地域では、バングラデシュ、マレーシア、タイなどの一部で話す者がいる

ちなみに、同じ「シナ・チベット語族」とされてきたお隣のタイ語は、正確には独立した言語であった。「タイ・カダイ語族カム・タイ語派」に属するという説が有力になっている。そして、メディアや公式に使う標準タイ語を対外的にはタイ語として定めたが、標準タイ語とバンコク市民の言語(バンコク語)には日本語の標準語と東京弁程度の差しかないという。

そのタイと国境を接しているミャンマー人は、全くタイ語が分からないという。もちろん、タイ人もビルマ語が理解できない。昔から交流が深い隣国同士なのになぜだろうか、と常々思っていた。日本人なら少なくとも中国人とは漢字で筆談ができるし、韓国にも漢字文化が残っており、日本語に近い言葉もたくさんある。

かつて筆者は北欧のデンマークで1年余り暮らしたことがあるが、デンマーク語が話せれば、隣国スエーデンやノルウェーでは意思の疎通はできた。3か国の言語の差は、東北弁と九州弁程度の違いしかないからだ。

そもそもデンマーク語は、英語とドイツ語を足して2で割ったような言葉だった。例えば「1」はデンマーク語で「エイン」、英語で「ワン」、ドイツ語で「アインス」となり、「2」はそれぞれ「ツゥ」「トゥ」「ツヴァイ」となる。「ありがとう」はタック(Tak)、サンキュー(Thank you)、ダンケ(Danke)で、ゲルマン系の言葉は親戚みたいなものだろう。もちろん、ラテン系のスペイン語、イタリア語、ポルトガル語も同様のことが言える。

それなのに陸続きのビルマ語とタイ語はなぜ互いに理解不能なのか。「シナ・チベット系」のビルマ語と、「タイ・カダイ語族系」のタイ語では、どうやらルーツが異なることが原因のひとつのようだ。
その点、タイは隣国のラオスとは方言のような関係にある。タイ語が通じるというラオスでは、それぞれ国家の公用語と位置づけられており、本来なら、タイ人とラオス人との会話は成立しない。しかし、ラオスではタイのTV番組を放送しているので、ラオス人の多くは、タイ語のヒアリングが可能だという。

ただタイ人とラオス人の間には「同系」の意識はあっても、「同じ民族」という意識はない。使用する文字も異なり、別言語とされている。とりわけラオスでは、国家の自立を守るため、意図的にタイ語との一線を画すプロパガンダが存在しているという。しかし、ラオス語は俗に「タイ語ビエンチャン弁」などと揶揄されることもあるそうだ。

一方、タイ語とカンボジア語(クメール語)はどうか。言語の系統としては直接のつながりはないが、その昔、タイがクメールの領土を侵略していく過程で、多くの語彙がタイ語に導入されたという歴史的経緯は事実だという。

しかし、ミャンマーやスリランカを含め、タイ、カンボジア、ラオスなどは、パーリ語やサンスクリット語を起源とする上座部仏教の国であり、サンスクリットに対応できるように開発されてきた仏教的言語の歴史もある。そのため、文字としての体系は異なるものの、源流を同じくする部分も存在するのだという。

ビルマ語はモン族の言葉だった

ビルマ語は、そもそも南部に住むモン族が使用していた文字だった。そして11世紀後半ごろにビルマ語として使われるようになったと。12世紀前後には、仏教徒の功徳を記録した碑文が多数現れるようになり、この時代に書かれたビルマ語を「古ビルマ語」と呼ぶ。

古ビルマ語の資料が現存しており、年代のはっきりしている記録には最も古い「ミャゼディ碑文」(1112年)のビルマ語表記がある。いわばビルマの「ロゼッタストーン」的なもので、四面体の石柱に、同一の内容が、モン語、パーリ語、ピュー語、そしてビルマ語の4つの言語で刻まれている。
その後、現代のビルマ語(Modern Burmese)になったのは、18世紀中頃と言われている。 最初は、明から清時代にかけての中国で、当時使われていたビルマ語の語彙が、「華夷訳語緬甸館雑字」という名の書のもとで今日まで残されている。

また、ヨーロッパ人のビルマへの進出は、イタリア(15世紀)、ポルトガル(16世紀)、オランダ(17世紀)、イギリス、フランス(17~18世紀)の順で行なわれたが、ビルマ語を最初に記録として残したのは、イタリア人の宣教師メルキオーレ・カルパニで、「AlphabetumBarmanorum」というタイトルの著書を1776年にローマで刊行している。

ビルマ語は、丸っこい文字が特徴で、これは文字を書くとき紙代わりに使っていたタラバヤシの葉が破れないように丸文字で印す知恵が考案されたのが始まりだそうだ。しかし〇やCの形の組み合わせで、日本人が文字自体を区別するのは難儀だ。初めてこの文字を目にする方の中には「まるで視力検査のランドルト環ではないか」と、誠に失礼な言い方をする輩もいる。

余談だが、この「ランドルト環」とは、静止視力を測定する方法として世界的に広く普及している視標である。これは大きさの異なるC字型の環の開いている方向を識別することによって、2点が離れていることを見分けられる最小の視角を測定するものである。

この検査法を考案したのはスイスの眼科医エドムント・ランドルト(1846-1926) で、彼の名前がそのまま名称となった。1909年にはイタリアの国際眼科学会で国際的な標準視標として採用され、「国際標準ランドルト氏環」と総称されるようになった。

それ以前には、オランダ人の眼科学者のハーマン・スネレンによってアルファベットを用いた視力測定法も生み出されていた。しかし、この視力検査法はアルファベットが使用されていない国では視力検査の結果に偏りができる欠点があったため、ランドルトが改良を加え、円に切れ目を入れた、「ランドルト環」が誕生したという。日本でもランドルト環が定着しているが、一見、単純そうに見える視標だが、正確さを期すために形は厳密に定められているという。

ミャンマー語と他言語との考察と研究 (下)

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栗原富雄(くりはら・とみお)

月刊『Yangon Press』編集長兼CEO。元日本旅行作家協会会員。
1949年、東京生まれ。高校を休学して2年間、ヨーロッパ、アジア、アメリアを放浪。1975年から1988年まで、「ブルータス」「週刊宝石」の取材記者。1992年~ 2001年、月刊「SEVEN SEAS」、月刊「VACATION」編集長、月刊『MOKU』編集局長を歴任。その後、フリーランスを経て、2011年にミャンマーのヤンゴンへ。2013年4月、日本語フリーペーパーの「Yangon Press」を創刊。2014年9月、ミャンマー語版を創刊。VIP取材には、ダライ・ラマ14世、ゴルバチョフ元ソ連大統領、デビッド・ロックフェラー、アウンサン・スーチー他。著書に『あの助っ人外人たちは今』(実業之日本社)、『不動産広告の裏を読め』(実業之日本社)、『Yangon Press で読み取る現実と真実』(人間の科学新社)などがある。

<参考資料>
2015. DAICHI shuppan(2017アジアビジネスなう)
藪司郎「ビルマ語」『言語学大辞典』(三省堂、1992年)
大野徹『現代ビルマ語入門』(泰流社、1983年)
LINE Corporation(NAVERまとめ)

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