ヤンゴンで女子大学設立を目指す日本人 ①

ミャンマーで物語を作る

ヤンゴンに「ミャンマーで物語を作る」(Myanmar Story Making Co., Ltd. =MSM)というちょっと変わった社名の日本企業がある。MSMの創業会長である土屋昭義(つちや・あきよし)氏は1950年、静岡県浜松市生まれ。30代に建設業を始めとする10以上の業種で起業したことがあり、「私は経営者というよりも起業家として企画力はあると自負しています」という。

建築の企画設計会社を成功させて、60歳になった時の土屋さんはハッピーリタイヤでゴルフ三昧の日々を送ることもできる身だったが、「60代を充実した日々にしたい」と考えた。土屋さんは年商数十億円以上に育てあげた建設会社を閉じ、そして「人生をもう1回やる」決心で2012年にミャンマーに移り住み、2018年2月で丸6年。

「土屋さんは浜名湖のクジラだからいずれ大海に出ていくと思っていた」と地元浜松に住む仲間から言われている。土屋さんはミャンマーでも建設関連などの数社を起業してきたが、今後の人生の最大の目標はいつかミャンマーに初の女子大学を誕生させたいこと。しかし、日本の知人からは「ミャンマーで学校?」と奇異に見られることも多いという。

人と運に恵まれて事業を成功させる

土屋さんが初めてミャンマーに足を踏み入れてからすぐ、2012年4月のミャンマー国会議員補欠選挙でアウンサン・スーチー氏が率いるNLD(国民民主連盟)が45議席中43議席を獲得する圧勝を遂げて世界の注目を集めていた。ミャンマーに住み始めた土屋さんが最初に始めたのはヤンゴン中心部のダゴン・タウンシップのナワデェイ通りに日本語学校のヤンゴン学院(MSM)をオープンしたことで、2012年10月に開校させた。ヤンゴン学院はヤンゴン市街、かつてスーチー国家顧問が通った有名な高等学校の正面に立地しており、生徒数は50人程度。他に日本語、専門技能を教えるMSMインターナショナル・ウーマンズ・カレッジ(MIWC)、人材紹介や貿易業のジャンプ・ミャンマー・ジャパン社(JMJ)、そしてかつて土屋さんの本業だった建設関係の会社として工場や店舗の建設や土木、測量、地盤調査などを行なうヤンゴン・サーベイ&デベロップメント社(YSD)などをヤンゴンであいつぎ起業してきた。

例えば、YSDには従業員が20人ほどいるが、日本人社員も2人いて、ヤンゴン近郊での用地・基準点測量、工事測量や各種図面作成業務、ドローン等による空撮サービス、画像解析による3D地形データ作成を行なっている他、日本からはデータ処理業務も委託されている。

幼少の頃、父親から「可愛い子には旅をさせろ」と聞かされ続けた土屋昭義さんは幼少時代から海外に夢見ていた。40年ほど前に生まれた長男に「東洋」と名付けたのも、これからはアジアの時代だと考えたから。現在、土屋東洋氏はシンガポールで日本食レストランチェーンを展開している。次男の土屋玄洋氏もインドのバンガロールで起業していたが、父親から呼ばれ、2012年5月にミャンマーに来て、MSMグループを手伝っている。

土屋昭義氏の父親は夜間中学を卒業、苦学して大学に通ったが、「日本の大学には何も学ぶことはないことが確認できたことが、私が大学から得た唯一の収穫だ。技術者になるのでなく、商売がしたいのなら、世の中の仕組みを理解するためにも一日でも早く『社会大学』入ったほうが良い」と息子の昭義氏に薦めた。

そこで浜松城北工業高校を卒業した最初の1年間は父親の仕事を手伝っていたが、当時は日本の高度経済成長期であり「建設業が良さそうだ」と考えた土屋さんは地元の建設会社(ゼネコン)に入って営業部に所属し、一生懸命働いた。そして、27歳の誕生日に電話が一本しかない状態で建設関係の企画会社を起業した。

「電話で大手企業のトップに会ってほしいと申し込むと意外にもかなり簡単にアポが取れました。私は飛び歩いて企画を売り込み受注しました。しかし、会社が軌道に乗り始めた頃に資金ショートして2億円も不足する事態に陥って、知り合いの一部上場の社長に相談に行きました。なんとその社長はその翌日、2億2000万円もの資金を個人としてポンと融資してくださったのです。この借金は1年据え置き、5年で返済する約束でお借りしましたが、何とか4年間で完済できました。すると突然アポなしでこの資金を貸してくれた社長本人が私の会社にお祝いのケーキを持って現れたのです。今でもその時の感動は忘れません。このような周りの人や運に恵まれて、私は会社を成長させることができました」と土屋さんは振り返っている。

 

————————————————-

土屋昭義(つちや・あきよし)氏

1950年6月3日、静岡県生まれ。浜松城北工業高校を卒業して地元のゼネコンに入社。官公庁営業から民間営業を志願して担当。1977年、27歳の誕生日に「シーン・メイキング(SM)」を設立して独立。電話一本で創業し、名古屋からのローカルチェーン誘致を皮切りに、商業施設、集合住宅、医療・介護施設等に事業範囲を広げ、競争物件ではなく、特命の民間工事の受注100%で業績を伸ばし、建設会社としては異例の高利益率を達成した。全国の建設会社に「情報を共有化してビジネスチャンスを広げて、10年、20年先にそれぞれの地域で生き残れる会社を目指そう」と参加を呼び掛けた「ITGネットワーク」作りも2006年に始めた。中小の建設会社が大企業を目指すのではなく、各地域の中小企業が強固なネットワークでの情報処理会社への脱皮を目指した。建設会社の社長としての経営体験を書いた著書も多いが、個人の電話番号を公開し、「いつでも私(土屋昭義会長)が直接お話します。お気軽にお問合せください」と書いてきた。

松田健(まつだ・けん)

アジアジャーナリスト。元日刊工業新聞記者。主な著作には、『タイで勝つ!! 直感力こそ成功のカギ』(重化学工業通信社)、『今こそフィリピンビジネス─アジア投資の穴場』(カナリア書房)、『魅惑のミャンマー投資』(カナリア書房)などがある。

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here