巨大な利権が絡むカンボジアのアンコールワット(下)

ベトナム・中国・タイ・北朝鮮が狙う

 

カンボジアの中国化が加速する

昨年の10月、中国の習近平がカンボジアを訪問。そのとき、シェムリアップに新しい国際空港を建設することが決まった。場所は現在の空港とは街を挟んだ反対側。距離にして50キロほどのソウトニクムという場所だという。

建設はもちろん中国が請け負う。

カンボジアと中国は、その親密度は年を追って深めている。背後には中国が置かれている立場が見え隠れする。

たとえば、南沙諸島。この島が中国領という主張に対し、多くのアジア諸国が反発している。とくに当事国であるフィリピン、ベトナムが不快感を示している。ベトナムの中国嫌いはつとに知られている。これまで何回となく、中国はベトナムを裏切ってきたとベトナム人は考えている。そもそもベトナムが南北に分断した発端は中国にあった。

アセアンの会議でも、南沙諸島は議題にのぼる。フィリピンとベトナムはロビー活動を繰り広げたが、結局、中国に抗議する共同声明を出すことはできなかった。カンボジアが強く反対したからだ。
カンボジアはその見返りに、莫大な援助を受けとることになる。中国にしたら、アセアンのなかでカンボジアを中国寄り国家に位置づけることで、さまざまな反発をかわそうとしている。

いまのカンボジアは、「ここは中国では?」と思ってしまうような一画が次々に出現している。

昨年末、ベトナムのサマットから陸路でカンボジアに入った。最初にあったトランペンプロンという村に泊まったが、そこには3軒のカジノがあった。その1軒の入口にある食堂に入ったが、周りにあるのは中国語だけだった。『中国美食』『川味』などの文字に囲まれていると、どの国にいるのかわからなくなる。南部のシアヌークビルに泊まったときも、周囲には中国人向け食堂しかなかった。カンボジアで働く中国人向けの店だった。

カンボジア国内には次々に工業団地が出現しているが、その多くは中国がつくっている。そこへの道路や橋なども中国の資本で建設が進む。

首都プノンペン市内を走る市内バスも整備されつつあるが、バスのボディーには、『中国援助』の文字が躍っている。なんでも100台近いバスが無償で届けられたという。

いまの中国とカンボジアの間には、ここまでの関係ができあがってきているわけだ。

その関係はシェムリアップに街にもあからさまな影響を与えている。

アンコールワットの入場券売り場の移転もそのひとつ……と、シェムリアップのカンボジア人がこう説明してくれた。

「突然、入場券売り場が移転しました。その場所を教えられて、そういうことかと思いました。新空港からシェムリアップに入ってくる道が決まったってことです。観光客はそこを走るバスやタクシーでやってくる。その入口に入場券売り場をつくったんです。でもね、だいぶ前から裏では決まっていたんでしょうね。前から不思議に思っていたんです。どうしてソカホテルが新しくここにできるのかって。フタを開けてみれば、入場券売り場の横じゃないですか。まずソカホテルに誘導して、そこで入場券を買わせて、アンコールワットという流れですよ」

ソカホテルはシェムリアップを代表する高級ホテルである。ツアー客も多い。経営するソカホテルグループが、アンコールワットの入場券を徴収している。そしてソカグループの背後にはベトナムがいるといわれている。

「みんなつながっちゃうじゃないですか。中国とベトナムは、新空港をフックに、新しくいくつもの収入源をつくっていく」

「でも、わからないんです。カンボジアではそのあたりは触れちゃいけないことになっている。そういう国ですから」

そんな話を耳にしながら、アンコールワットの入場券売り場に向かった。新しい売り場である。37米ドルを払って切符を受けとる。その建物を出ると、目に前にどーんと博物館が現れた。これがグランドパノラマ博物館である。

「これですか」

同行したカンボジア人に訊いてみる。彼はちょっと困ったように頷いた。

これが北朝鮮がつくった博物館だった。クメール時代の生活や文化を描いた大型壁画が売り物の博物館である。2015年にオープンしている。

ここを訪ねたという日本人から話を聞いたことがある。

「北朝鮮でしょ。どうせたいしたことはないかと思ったけど、意外にすごい。迫力ありますよ。入館料は20米ドルでした。この値段だったら、見てもいいかも」

この博物館は北朝鮮がつくり、カンボジアに寄贈するかたちをとっている。しかし最初の10年間は、北朝鮮が運営を行なう。つまり入館料は北朝鮮に入っていくのだ。

はじめ北朝鮮は、アンコールワットの入場料に、この博物館の入館料を加えたものを要求したという。仮にそれが加わると、アンコールワットの入場料は1日券が57米ドルになってしまう。

カンボジア政府とのこの交渉はうまくいかず、結局、単独の博物館になった。カンボジア政府も、3倍近い値上げへの反発を考えたのだろう。

中国の威を借る北朝鮮の暗躍

ミサイル発射や核問題で、北朝鮮は世界から圧力をかけられている。経済制裁も行なわれている。その流れのなかで、中国とロシアは強行策には反対している。北朝鮮を孤立化させないという説明だが、その背後にあるものは誰にでも想像がつく。

しかし中国にしてもあからさまな行動をとることはできない。

そこでカンボジアなのかもしれなかった。シェムリアップの新空港を中国が建設することは、かなり前から決まった既成事実だったのだろう。北朝鮮が単独で博物館をつくるという事業に対して、多くの国が難色を示す。それはカンボジアも同じなのかもしれないが、中国が首を縦にふれば従わなくてはならない空気がカンボジアにはある。そこを利用したのがグランドパノラマ博物館ということなのかもしれない。

北朝鮮はさまざまな方法で外貨を稼ごうとする。反対する国々は、その目を摘もうとする。たとえば北朝鮮は世界で北朝鮮レストランを経営している。

しかしシェムリアップの北朝鮮レストランである『平壌冷麺館』に行った日本人は、ほとんど客がいない店内に愕然としたという。

シェムリアップはもともと、韓国系企業が根づき、韓国人観光客が多かった。しかし中国の勢いや韓国の景気の後退のなかで、アンコールワットを訪ねる韓国人が減ってきている。ソウルとシェムリアップを結ぶ便も減便が続いている。その影響もあるのかもしれない。経済制裁が騒がれるなかでは、のんきに北朝鮮レストランという気分になれないのだろうか。

国連安全保障理事会が採択した制裁のなかには、「海外にいる北朝鮮の労働者を2年以内に帰国させること」という項目も含まれている。北朝鮮レストランは、その前に経営不振に陥ってしまうかもしれない。

それを考えて……というわけではないだろう。しかし北朝鮮が海外事業を展開できる国は限られている。

アンコールワットは、アジアを代表する世界遺産である。訪れる観光客もここにきて増え続けている。しかしこの遺跡が、カンボジアにあることから、さまざまな利権が入り込んできてしまった。そしていま、近隣国を越え、中国や北朝鮮まで、この遺跡に吸い寄せられるように集まってきている。

 


下川裕治(しもかわ・ゆうじ)

作家。元新聞記者。主な著作に、『本社はわかってくれない─ 東南アジア駐在員はつらいよ』(講談社現代新書)、『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)、『バンコク探険』(双葉文庫)、『海外路上観察学 ぼくの地球歩きノート』(徳間書店)、『ホテルバンコクにようこそ』(双葉文庫)、『バンコクに惑う』(双葉文庫)、『アジアの誘惑』(講談社文庫)、『アジアの弟子』(幻冬舎文庫)、『バンコク子連れ留学』(徳間文庫)、『アジアの居場所』(主婦の友社)、『新・バンコク探検』(双葉文庫)、『タイ語でタイ化』(双葉文庫)、『タイ語の本音』(双葉文庫)、『アジアの友人』 (講談社文庫)、『バンコク迷走』(双葉文庫)、『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社新書)、『週末アジアでちょっと幸せ』(朝日文庫)、『週末バンコクでちょっと脱力』(朝日文庫)等がある。

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