海外で居場所を見つけた孤高のピン芸人

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海外で居場所を見つけた孤高のピン芸人

ぜんじろうの現在地

皆さんは、ぜんじろうという名前を覚えてらっしゃるだろうか?
かつて、『上岡龍太郎最後の内弟子』『西の最終兵器』『平成の明石家さんま』と一世を風靡した後、ブラウンから姿を消した、と言われて久しい。
そんな彼は現在、活動の拠点を海外に移し、知る人ぞ知る『海外で有名なジャパニーズ』としての
プレゼンスを確立している。
「決して逃避の末たどり着いた場所ではなく、こここそが僕の生きる場所なんです」という彼の現在の活動と心境に迫った。

人生は何度でもやり直しができる。
僕は今後も海外で勝負していきたい。

──「平成の明石家さんま」と一世を風靡した大阪時代、関東進出を経て、現在は活動の拠点を海外へ拡げられているわけですが、その経緯、動機となったものを教えてください。

平成の明石家さんまと言われていたのも自分で知らなかったくらい当時は忙しく、スケジュール管理から何まですべてマネージャーに任せっきりでした。東京進出したものの、自分の実力不足で27本もあったレギュラーが一気に0本になり、大阪にも帰れず、しばらく引きこもっていました。その引きこもった先が、僕にとってはたまたまアメリカだったんですね。

「よっしゃ! この機会をあえてプラスと捉え、誰もやってないことをやってやろう! 日本の芸人として海外で一旗あげてやろうやないかい‼」と決意したんです。ただ、僕の英語力の不足もあり、挫折し帰国。その後は、ロボットと漫才などに精力を傾けましたが、これもうまくいかず、40代半ばでもう一度、捲土重来の思いで海外に出ました。幸いにもいろいろな機会に恵まれ、2015年にタイで開かれた世界お笑い大会で優勝し、そこから活動の幅が広がっていきました。人生って分からんもんですね。

──いやいや、海外でも華々しいご活躍じゃないですか。ざっと経歴をお見受けしただけでも、2013年・第2回 インドコメディストア国内大会第2位、2014・第9回 香港国際コメディ大会ファイナリスト、2015年・第1回 世界お笑い大会 in タイ 優勝、2016年・第1回 中国国際お笑い大会ファイナリスト、 2016年・第4回 アメリカコメディ大会第4位、などなど。海外では具体的にどういった内容で活動されているのですか?

僕の海外での活動は、スタンダップ・コメディーと言って、マイク一本で、独りで言葉だけで笑かす世界標準のスタイルの芸です。アメリカだけではなく、世界各国20か所くらいでライブを行なったことがあります。最近はアジア諸国が面白いですね。行った先では、英語圏のお客様、現地語のお客様、そして日本語で日本人コミュニティーの方々の前、これら3つのパターンでやらせていただいています。今までなかった新しい笑いのビジネスモデルなので、どれが正解か不正解かは暗中模索の状態です。なので、来た仕事は選ばず、すべて受ける方針でやっています。ただ、これから先どんどんこういった日本の芸人が世界に出て行ったり、また逆に海外のコメディアンが日本にやってくる時代になるだろう、と確信しています。

 

自分が面白いと思ったものをやっていけば
笑ってくれるお客さんは必ずいる。

──動画サイトで、スタンダップ・コメディーの様子を収めた動画を拝見しました。内容がかなりシニカルで刺激的なものに感じましたが、海外での活動で意識していることは何でしょうか? 

海外で意識するのは、まず相手の国民を上から見ないこと。例えば、僕は東南アジアなんて言い方はしなくなりました。タイならタイ、ベトナムならベトナムと言うようになり、どの国に対しても同じ目線で見ています。あと、その国の「笑い」を敬意を持って見るとこから入ります。また、僕は行った先の国でまずその国のタブーを聞きます。一般的に心掛けているのは「社会的差別はしない」「プライバシーはいじらない」、この2つくらいで、後は日本では自粛するようなことでも全然オーケーだったりします。海外のコメディーは、大人向けのものが多く、社会のマイノリティーを扱ったり、政治や歴史もネタにします。原爆ネタなんてのは鉄板ですね(笑)。あと下ネタなんかも、海外の女性は堂々とネタにします。それと比べると、日本の笑いはどちらかと言うと子供向け、動きや一発ギャグで笑いを取るものが多く、そのへんに違いを感じます。知らず知らずのうちに社会的身分の低さを感じてしまってるのでしょうか? 「芸人ごときが世相を切ってもな……」という空気が演者の側にもあったと思います。あとは日本では依然として、上下関係や肩書きが物を言う要素も強いですしね。一方で特にヨーロッパで強く感じたのが、お客さんの側も個の笑いを求めて見に来ているということです。彼らには他の人が楽しいかどうか、という尺度はないように感じます。日本の皆さんも、まわりで流行っているからという尺度だけでなく、自分が面白ければそれでいいじゃん、という気持ちでお笑いに接してみていただけるとまた新たな発見があるかもしれません。

──英語についてはいかがですか? 当初より言語には自信がおありだったんでしょうか?

それはもう全然! 初めてアメリカへ旅行したのは20代後半のときでしたが、パンのことをブレッドということすら知らなかったくらい。機内で「パンを持ってきてくれ」と言ったら、スチュワーデスがフライパンを持ってきてびっくりしましたよ! ってこれはさすがにネタですけどね(笑)。でも、ほんとそんなレベル。よく、「どうやったら英語がしゃべるようになりますか?」って質問を受けるんですけど、何かしゃべりたいことがあるんですか? といつも聞き返しています。旅行でもビジネスでも何でもいいんですが、聞きたいことがあれば、そのシチュエーションを英訳し、丸暗記することから始めるといいんじゃないでしょうか? あとはノリとリズムだと思いますよ。どの言語にもその言語のノリがありますから。「何かしゃべりたいことがありますか?」ってのは実はとても大切なことで、自分自身思うのは英語は僕の感覚に合ってるなって思うんです。先ほども言いましたが、欧米人は個を大事にしており、そのせいか、英語には基本、曖昧な表現がありません。「I like it because~, I think because~」といったように自分がどう思うか、何が好きかを発信していく言語だと思うんです。私は日本にいたときから、正直にまっすぐ発信することを常に心がけていて、それがともすると、変わり者、うっとおしい奴と捉えられることも少なくなかったのですが、最終的にはこれが一番相手に伝わり、信頼を得る近道だと今でも信じています。

すべてを肯定して生きていれば
必ず道は開けていく。

──日本から距離を置くことによって見えてきた自国像、日本人について、何かありますか?

それこそ新しい発見の連続です。今までの日本、日本人、日本語などへの自分の思い込みが、がらりと変わりました。昔は日本というと「金持ち!」「観光」「カメラ」だったんですが、最近は他国のコメディアンも日本をネタにするのは「自殺」「謝罪」「アダルトビデオ」だったりするんです。でも逆にそこを受け入れ笑いのネタにすると、すごく喜んでくれます。本来、日本はお笑い大国なんですが、海外には伝わってないのももどかしいですね。海外に行ったことで、より日本や日本人が好きになりました。日本語でも外国語に訳せない言葉が好きです。例えば、「粋」「こだわり」「お世話になっています」。その中でも「しゃ〜ない」「なんでやねん」は大好きです。

──海外でビジネスをする日本人へエールをお願いします。

海外に住まわれて、商売なり、働かれるのは本当に大変なことだと思います。自身も経験してますが、特に海外では、地味で細かい生活の諸事が本当に大変です。挫折や悲しみがこみ上げて来たときは、僕の師匠の上岡から教わった『だから逆に人生面白い』を自分に言い聞かすようにしています。魔法のような言葉で、その言葉ですべてが肯定されます。人が通ってこなかった道をあえて選んで走っている、その誇りを持って、月並みな言い方ですが、嫌なことも含め、目一杯海外生活を楽しんでください。すべてはネタだと思って! ご苦労様です。

──最後に、今後の活動の予定、目指すべき理想像、夢など教えてください。

今後も、今やってることを少しずつでも大きくしていくことが目標です。海外と日本の懸け橋になり、日本から世界、世界から日本と、地球規模でマーケットを考えて行きたいです。中でも、特にアジアは意識して行きたいですね。目指すところは、今のところはまだ「日本から来たぜんじろうです」で日本人のネタが中心なんですが、国境を超えて「From Japan」ではなく、「From Zenjiro」として発信していき、その先には「日本の笑いって面白いな~」なんて世界中で思われるようになりたいです。

──本日はお忙しいところありがとうございました。ぜんじろうさんのワールドワイドなご活躍を心よりお祈りしています。

 

川越渉(かわごえ・わたる)Kamin BCNT代表

日本で雑誌編集者として業務後、39歳のときに一念発起しタイへ移住。1年間チュラロンコン大学にてタイ語を勉強した後、通訳兼コーディネーターとして大手電機メーカーに勤務。日系新聞社での勤務を経て5年前より起業しゲストハウス経営、展示会オーガナイザー、通訳などの人材派遣業を手掛ける。在タイ11年目。