華人系企業成功の陰にインド人と日本人あり

タイ唯一の航空機部品メーカーCCS

タイの首都バンコク中心部からメナム河を越え、さらに車で30分ほどのノンタブリ県内にタイ企業としては唯一の航空機部品メーカーであるCCSグループの工場があり、これまで何度か取材してきた。当初はCCSインターナショナルという名で、1989年に起業したのは華人系タイ人のブーンジャラーン・マノブラチャイラート氏で、最終学歴は小学校。電気部品の販売、土建屋、エビ養殖、宝石などの商売を経て、現在のCCSグループを築き上げた。同じ工場敷地内に金属加工のCCSエンジニアリング社、航空宇宙部品製造CCSアドバンス・テックの工場がある。CCSエンジニアリング社の資本金は9000万バーツ(約3億円)、CCSアドバンス・テック2億5000万バーツ(約8億4000万円)ほどで、他にプラスチック製品製造のCCSパッケージングなどからグループを形成している。CCSグループでは世界に向けた航空機部品製造で毎年倍以上も売り上げを伸ばしており、「タイランド4・0」として産業高度化を目指すタイ政府はCCSに大きな期待を寄せている。

華人のオーナー企業家としてCCSを育てたブーンジャラーン氏には人を見抜く力があった。華人が自ら育てた会社をインド人に経営を一任したケースとしても珍しい。ブーンジャラーン氏にスカウトされCEOに就任して経営を任せられたケタン氏は、当初のCCSでは考えたこともなかった航空機部品製造などに参入して成功させた。ブーンジャラーン氏は2016年12月、交通事故に遭遇し、75歳の生涯を閉じた。同氏の子息もCCSに勤務しているが、今後もケタン氏がCEOを続ける。

ミネベアから仕事を受注して急成長

ブーンジャラーン氏は何も経営資源がない状態でCCSインターナショナルを起業した当初、タイに進出して初のタイ工場の建設を開始していたミネベアから工場内で使う付帯設備をたまたま受注できたことをバネとして急成長を始めた。当時のミネベアでは新工場で必要とする棚、検査机、部品箱といった膨大な付帯品が製作できるタイ企業を探していたところ、たまたま建設関係の板金溶接をしていたCCSインターナショナルというローカル企業を見つけた。

当時のブーンジャラーン社長はミネベアから出される図面さえ読むことができない状態だったが、華人に多い自信家の1人として「できます」とミネベアに2つ返事。そしてミネベアから出される膨大な量の図面から各種設備をタイの下請け企業も使って製造した。当時、ミネベアで生産技術担当として駐在していた一迫守(いちはざま・まもる)氏がミネベア側のCCS社担当だったが「最初は、とんでもない物を作ることが多かった」と思い出している。その後、ミネベアを辞めてCCSに入社、さらに起業した一迫氏については後で紹介する。

当初のブーンジャラーン社長は華人の商人としての嗅覚で「ミネベアに付いていけば成功できる」と直感、ミネベアからの仕事をこなしながら多くのことを学びとっていった。そのうちにミネベアのタイ人スタッフとも仲良くなったブーンジャラーン社長は、1989年からは治具などの金属加工についてもミネベアから請けるようになった。当時はまだ金属加工の技術を持たなかったCCSでは、タイのブローカー経由で注文された加工ができる工場を探して、ミネベアの注文に応じながら、自社工場でも機械を設備して金属加工を開始、加工精密度を高めていった。

アジア通貨危機を大きなチャンスに変える

CCSは現在では従業員1200人規模と育ち、タイのローカル企業として唯一の航空機向け部品も製造できる優良企業に育つまでの20年間、同社の経営規模拡大で欠かせなかった2人の外国人がいる。ミネベアから出される大量の図面から各種設備製造について当時のブーンジャラーン社長に指導した人は、タイに進出したミネベアがペルメックタイ(当時)の工場を立ち上げていた時期に同社にいた前記の一迫守氏で、ベアリングの生産技術を担当していた。

一迫氏は千葉県習志野市出身で、高校時代に航空機に関心を持ち、鹿児島の九州学院大学(現第一工業大学)工学部に入学して航空工学を専攻したが、主任教授の「命令」でミネベアに1984年に入社したという。入社して半年後からタイに駐在することになり、1991年にミネベアを辞めて東京で働いていたが、ミネベア時代にタイで親しくなったCCSのブーンジャラーン社長から強く入社を要望されて、一迫氏はタイに戻ってCCSに入社したのは、1997年7月にアジア通貨危機がタイで発生した直前のことだった。

アジア通貨危機はCCSと一迫氏に大きなチャンスを与えた。同危機をきっかけとして、タイに進出している日系大手メーカーでは、従来使ってきた日系の下請けメーカーからコストダウンが期待できるタイのローカル企業に現地調達先を切り替える動きになったからだ。それまでCCSにとって唯一の顧客だったミネベア以外の日本の顧客を探すことが主任務だった一迫氏にとってラッキーな動きであり、

「就任した最初の1年間だけで新規の日系企業50社以上の契約が面白いように取れた」と一迫氏は振り返っている。

「入社当時のCCSにはすでに高性能な欧州の機械が多数導入されており、ブーンジャラーン社長はスイス製の高価な機械を4基同時購入するといった思い切った設備投資を続けていました。導入している機械を顧客に説明したとたんにタイの日系大手企業は発注してくれました」と一迫氏。

しかしその後、2008年になって、リーマンショックで受注単価の暴落が続く中で「自分のCCSでの役割は終わった」と感じた一迫氏は独立、バンコクに経営コンサル会社であるJ-TEXアジア(J-TEX ASIA CO., LTD.)を立ち上げた。一迫氏のそれまでのタイでの経験を生かして日本企業のタイ展開で橋渡し役を務めたいというのが、J-TEXアジアの事業目的だ。そこで一迫氏は前から親しくしていたタイ下請け振興協会(Thai Subcontracting Promotion Association)のアドバイザーを務め、2011年からはJETRO(日本貿易振興機構)バンコク事務所で機械・部品分野では初の中小企業海外展開支援コーディネーターも受託している。

一迫氏は現在、タイのBOI(投資委員会)奨励事業である大手化粧品容器製造のGLASEL(THAILAND)のタイ代表者(MD)として全力投球中。ミネベアを辞めて東京でトイレタリー関係の仕事をしていた時に知り合って親しくしていた高級化粧品容器販売で大手のグラセル(大阪府茨木市)の谷村敏昭社長から「タイに工場を作るので応援してほしい」という要請を受け入れた一迫氏は2014年12月にバンコク郊外にグラセルなど日本の中小中堅5社による合弁工場を立ち上げ、4年目に入っている。この5社ともに日本国内では黒字を計上している優良企業。GLASEL (THAILAND)は当初は1億9500万バーツ(6億円強)の資本金でスタートしたが、これまでに3億1500万バーツ(約10億6000万円)に増資している。

GLASEL(THAILAND)の工場長を務めている津田工業の技術畑出身で蒸着塗装などを担当してきた高柳誠氏はかつて津田工業の中国工場立ち上げ要員として蘇州での駐在経験がある。合弁5社の中では津田工業だけが海外進出の実績がある。

この高柳氏にとってこれまでのタイでの経験で最も驚いたことがCCSへの訪問だった。高柳氏はCCSを初訪問し、設計担当のインド人に蒸着塗装で必要な塗装する面だけを「見切る」冶具を作ってもらえるかどうか、ラフ画を手で描きながら質問してみた。するとそのインド人から翌日さっそく図面が高柳氏に送られてきた。そして8個が同時塗装できる樹脂製の冶具が1週ほどで完成したが、従来依頼してきた「日本の下請けが製造したものよりも高い精度での仕上がり」に高柳氏は驚嘆、その後、毎月この冶具をCCSに発注している。

GLASEL(THAILAND)の一迫社長は「CCSには高性能な工作機械がそろっている。当社も独自技術は多いが、今後の規模拡大に向けて自己投資には限度がある。だからCCSとはこれまで以上に深い関係を築き、冶具や金型などで広く連携していきたい」と考えている。

航空機部品メーカーに変身させたインド人CEO

CCSを急成長させたもう1人の外国人が、1997年、一迫氏よりも数か月遅れてCCSに入社、現在まで長くCCSのCEO(最高経営責任者)を務めるケタン・ポール(Ketan Pole)氏というインド人。筆者はこれまでに何十回もインド各地を訪問し、過去にインドビジネスの本も書いたことがある。インド人とのこれまでの付き合いから、インド人経営者の多くは優秀だが、どこか人を見下すタイプが多いことも感じていた。だが、初めてケタンCEOにインタビューした時、腰が低く日本人が納得しやすい英語で話してくれるなど、これまでに取材してきたインド人ビジネスマンとはまったく異なるタイプというのがケタン氏の初印象だった。

ケタン氏は西インドのマハーラーシュトラ州都のムンバイに近いプネの出身。大学で機械工学を専攻、1984年から4年間はインドに進出しているドイツの協力会社で宇宙ロケット、原子力関係を担当、その後、インドに進出してコマツとの事業もある米国のディーゼルエンジンメーカーのCUMMINSで製造エンジニアリングマネージャーとして働きながら「いつかインドの外に出て働きたい」とケタン氏は考えていた。その頃、日本と関係が深いタイのAIT(アジア工科大学院)の修士コースに学んでいた従弟からAITでベルギー援助の5軸のCAD/CAM(コンピュータ支援設計・製造)のプロジェクトで募集しているという情報を得たケタン氏はさっそく応募して採用された。

こうして1992年にタイにやって来たケタン氏だが、これまでにタイで4半世紀を過ごしてきた。タイのAITで1年働いた後、アユタヤにある米系の半導体企業に転職して1993年から1997年まで働いた後、ブーンジャラーン氏によるスカウトでCCSに移った。

華人のブーンジャラーン社長がインド人のケタン氏にCEOの座を与えたのは、CCSにとって初の航空機部品製造を含む欧米の大手企業からの受注を相次ぎ決めたなどのケタン氏の手腕を評価したため。

一迫氏とケタン氏がCCSに入社した1997年当時の従業員数は90人の中小企業だったが、これまでに1200人を超えた。2人のCCS入社後10年間でCCSの業容も10倍以上になっている。

航空機用の部品製造はタイ全体としてはミネベアのロップリ工場、米国のトライアンフ社、英国社、オランダ社など5社があるが、タイ企業としてはCCSグループだけ。CCSがタイローカルとして唯一の航空機部品メーカーになることができた背景について、ケタンCEOは「世界の航空機メーカーに納得される体制づくりに力を入れたから」と言う。

2005年に米国の航空宇宙製造会社の調達部門、購買部門、品質部門の役員らがメンバーの委員会が作成した航空宇宙製造規格AS9100/NADCAP認証をタイ企業として初めてCCSでは取得、同年にグローバルなERP(企業の情報管理統合システム)であるSAPパッケージもタイ企業として初めて導入した。そしてCCSの最初の航空機部品製造は、GEのタイ法人だったUNISON向けで、2005年に労働問題でUNISONがタイを撤退する2009年まで航空機関連の部品を納入した。部品の最終工程の塗装、コーティングなども2009年にCCSが認証された航空宇宙機器製造規格の「NADCAP」に基づいて取り組んでいる。

ティア1(1次下請け)かティア2(2次下請け)としてCCSは納入できるが、エンドカスタマーとしてはロールスロイス、UTC、ボーイング、エアバスに納入しており、航空機別ではボーイングの777、787、エアバスのA320、A350、A380、カナダのボンバルディア、日本のMRJなど向けの部品を生産している。UTAS、MEGGITT、MOOG、TRIUMPH AEROSPACEとの戦略的ビジネスでの提携もしている。

「米国の防衛産業からもCCSに関心を持ってもらっており、米国のITAR(国際貿易武器レギュレーション)を取得する準備も始めた。航空宇宙産業に沸くインドにも行き、タタ・グループで航空機部門があるタイタン社やAEQUS社などを訪問しました。インドとのビジネスも始めるかも知れない」とケタンCEO。

多国籍・多民族の従業員が働くCCSグループ

現在のCCSグループの約1200人のエンジニアにはインド人が40数人いる他、フィリピン人、マレーシア人、中国人などと国際色が豊か。インド人は加工技術者。外国人で最も多いのはミャンマー人で100人ほどいるが、ミャンマー人の全員は単純労働に従事している。

「CCSに来る前にいたアユタヤの米国系半導体工場で働くフィリピン人材の募集を任された私は、1993年に初めてフィリピンに行きマニラで100人のフィリピン人の応募者から20人を選んでタイに連れて帰る仕事をしたことがあります。この経験を通じて、フィリピン人のプログラミング能力が高いことを知っており、CCSではフィリピン人を採用しています」とケタンCEO。

インド人とフィリピン人は英語がうまいということで共通しているが、CCSの航空機部品部門にはフィリピン人は1人もおらず、他の部品製造に従事しており、インド人が航空機向け製造のエンジニアとして30人ほどいる。インドでは航空機関連産業が増えていることから経験者が多いという。CAD(コンピュータ支援設計)担当の全員がタイ人で、「チームリーダー」を兼務するケタンCEOの下に工場全体で約40人の「セクション・チーフ」(他社のマネージャーにあたる)がおり、その内38人がタイ人でインド人は2人だけ。

インド人エンジニアに対するケタンCEOの評価は厳しい。

「日頃から優秀なインド人を私の人脈で得たいと考えて活動しています。インド人の能力を買って採用するのですが、あまりにもインド人の数が多いことからCCSに役立ってほしいインド人を選ぶことは簡単ではないです。インド人は何でも知ったかぶりをする人が多くて、まったく使いづらい」とインド人のケタン氏が語った。

マレーシアの工具メーカーを社長ごと買収

CCSに導入している高級機械で使われる切削工具類は外部からは買わずに内製している。
工具をCCS社内で製造している責任者であるタン・テアン・フアット(Tan Thean Huat)氏はマレーシア人で、長年に渡ってCCSの切削工具部門マネージャーを務めている。このタン氏、元はマレーシアのペナンにあった工具メーカーのオーナー社長だった。かつてケタン氏がペナンを訪問した時に知り合った。
そして2003年にこの会社をCCSに売却してもらい、社長だったタン氏自身もマネージャーとしてCCSの工場に移った。そしてタン氏はCCSの内部で、エンドミル、ドリル、リーマなどの他、特殊工具の生産も開始してCCSの生産合理化、コスト削減に多大な寄与をしてきた。工場で使用期間が過ぎた工具を再利用する研磨も社内で行なっている。
筆者はタン氏とCCS内部のこの部署で話したが、「CCSに移って15年になるが、今でも好きな仕事を続けていられていることは本望だ」と語った。タン氏はCCSの従業員に対して工具づくりの技術指導でも力を入れている。

CCSでは、航空機向けに限っても約700の部品を製造しているが、ニッケル基超合金のインコネルを始めとして、アルミ、ステンレスなど原材料は欧米から輸入している。工場には高価な欧州製機械が多数導入されているが、これら機械を使いこなしているだけでなく、測定面でも世界最先端の機器を導入している。

「我々CCSの航空機関連の部品製造でその100%が輸出向けであり、今後もその拡大を続けていきたい」とケタンCEO。

タイ政府は近年、タイの航空宇宙産業の育成を最優先課題の1つとした。そこでタイでローカルで唯一の航空宇宙産業向け部品製造会社であるCCSに対するタイ政府からの期待も大きい。ケタンCEOはタイ政府のBOI(投資委員会)主催のセミナーなどでの講師をたびたび依頼されている。2017年2月にはBOIが「タイの機会」と題する大きなセミナーを開催してプラユット首相もこのセミナーで「タイ4・0はタイの機会」と題してオープニングスピーチを講演を行なったが、ケタンCEOも関連セミナーの講師の1人を務めた。

タイローカルとしてたった1社の航空機部品メーカーの経営者としてCCSに続くタイローカルの航空部品メーカーが生まれる可能性の有無についてケタンCEOに訊いてみた。
同氏は「可能だとは思いますが、簡単な道ではない。航空機分野への参入は、山のような忍耐力と情熱を持ち続けなくては実現できません。まずは多額な投資、英語力、ERP(企業の情報管理統合システム)の導入、AS9100/NADCAPなどの認証を受ける、といった世界の航空機産業で通用する能力を持つ必要があります」と答えた。

CCSでは300台を超える機械が稼働しているが、スイス製やドイツ製の高級機が多い。そこでケタンCEOに日本製機械の導入について経験や要望点について聞いてみた。

「タイでショールームに展示されている機械であっても、それらの日本のメーカーは顧客への納入前に日本政府の輸出許可を取るための極めて複雑な手続きを踏まなければなりません。このことは日本の機械メーカーにとって、ドイツやスイスの競争メーカーに比べて大きな不利益な立場に置かれています。日本の機械メーカーがタイへの輸出許可を得るためには膨大な書類が必要とされます。私がバンコクの日本の工作機械メーカーに問い合わせると『審査に3か月かかります』などと言われて諦めることがほとんどです。3か月だなんて待ってられないです。その間に我々のビジネスチャンスが消えてしまいますからね。だから、ほぼ同性能の機械をすぐに船積み出荷してくれるスイスやドイツの機械を買わざるを得ない」とケタン氏は説明する。

一方で「日本のティア2(2次下請け)、ティア3の航空機部品産業は日本政府による手厚い保護を受けていることから、CCSが日本のMHI、KHI、IHIといった企業から航空機部品を受注することは難しい」とケタン氏は感じている。

 

日本企業との合弁設立も視野に

ケタンCEOは「我々の航空機ビジネスは100%が輸出で、今後もそのビジネスを拡張していくつもり。CCSでは機械加工や航空宇宙部品製造に次いで石油・ガス関連の部品の世界市場への生産・輸出も始めました」と明らかにした。

ケタンCEOは日本企業を訪問するため日本にも度々出かけている。そしてケタン氏は業容拡大の一貫として、航空機関係を含む広い分野でCCSにとって初の合弁会社を日本や欧米の企業と設立していきたいとも考えている。

「日本や欧米で技術力があってマーケットリーダーである企業がその対象になります」というケタン氏の挑戦は続く。

 


松田健(まつだ・けん)

アジアジャーナリスト。元日刊工業新聞記者。主な著作には、『タイで勝つ!! 直感力こそ成功のカギ』(重化学工業通信社)、『今こそフィリピンビジネス─アジア投資の穴場』(カナリア書房)、『魅惑のミャンマー投資』(カナリア書房)などがある。

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