9つのキーワードで良く分かるアジア Vol.1

第1回 カンボジア

「アジア」──と、我々は一言で簡単に言ってしまいます。が、このエリアは、そんな「アジア」という名称だけで一括りする事はとても出来ないでしょう。歴史も背景も大きく違っており、これほど文化が多種多様な地域もありません。まだまだ基本的な情報すら知らない日本人が多いのも事実です。今後、9つのキーワードを取り上げて、アジア各国の基本情報を提供していきたいと思います。まずは、第1回目はカンボジアです。

「人口」は約1500万人で、南東部に6割が集中

カンボジアの人口は約1500万人で、世界の中では68番目の人口数です。首都プノンペンで約150万人。第2の都市バッタンバンは約100万人です。国内で一番人口の多い都市コンポンチャムには168万人が住んでいて、プノンペンのある南東部に全人口の6割が集中しています。旅行者が多く、世界遺産のアンコールワットがあるシェムリアップには90万人が住んでいます。

「面積」は日本の約半分の広さ

面積は約 18 万1000平方キロメート ルで、日本の約2分の1弱くらいの面積 です。インドシナ半島の南西に位置して います。北にラオス、東にベトナム、北西にタイと国境を接しています。国土の大半は平野で、中心に大河メコン川が流れ、国土の多くを森林が覆っているのが特徴です。

「年齢」は国民の半数近くが20歳前半

カンボジアの平均年齢はおよそ25歳で、国民の半数近くが20歳前半です。ポル・ポト政権時代の影響もあり、30歳後半以降の人口、および、その世代の子供が少なく、若年者人口の比率が高いです。人口統計では一部いびつな形をしていますが、ピラミッド構造になっています。人口増加率も1・46%(2013年)と、ASEAN(東南アジア諸国連合)の平均を上回っています。

「気候」は高温多湿な熱帯モンスーン

カンボジアは熱帯モンスーン気候帯に属し、高温多湿な気候で、雨季と乾季に分かれます。11月~4月が乾季にあたり、前半は涼しく、過ごしやすい季節ですが、後半は暑く、日中の気温も40度近くまで上がります。5月~10月が雨季にあたり、一時的に集中的な強い雨(スコール)が降るのが特徴です。

「政治」は国王を元首とする立憲君主制

カンボジアは1975年からポル・ポト政権、1979年からヘム・サムリン政権で、社会主義が導入されました。その後、1993年以降は、国王を元首とする立憲君主制に。現在は2004年10月に即位したノロドム・シハモニ国王が元首です。

「経済」は1人あたりGDPが1144米ドル

カンボジアの1人あたりのGDP(国内総生産)は1144米ドル(2015年現在。世界第154位)であり、世界平均の10%に満たない水準です。その中でも1日2米ドル未満で暮らす貧困層は国民の半数がいると推定されていて、後発開発途上国として位置づけられています。主要産業は農業、漁業、林業などの第1次産業です。

「歴史」はポル・ポト政権の悲劇を経たあと自由を得る

19世紀にフランスの植民地となり、1945年に日本軍がフランスより実権を奪取しますが、第2次世界大戦敗戦により再びフランスの保護下になります。1953年にフランス保護下の中、シアヌーク王のもと独立宣言をします。独立後、シアヌークの独裁政治の影響で、ロン・ノル将軍による親米政権と対立し、年以上の内戦が続きました。

ロン・ノル政権崩壊後、ポル・ポト派 (クメール・ルージュ)が政権を握り、自国民大虐殺の時代に突入します。その後、ベトナムによる侵攻が起きましたが、 1990年にカンボジア和平協定がフランスの首都パリで締結され、市場経済化 が始まりました。

「文化」はインド・中国・タイの影響力が大きい

カンボジアの持つクメール文化はインドの文化から影響を受けています。そのため、サンスクリット語やパーリ語からの借用語が多いのもその特徴です。その他、中国語やタイ語の影響も受けています。カンボジアの法律で上座部仏教が国教として定められており、人口の9割が信仰しています。宗教は社会生活の中心であり、精神的なよりどころとしているクメール人が多いです。

「日本」は最大の援助国

日本とカンボジアの関係は古く、17世紀の徳川家康の時代から続いています。カンボジアにとって、日本は最大の開発援助国であり、PKO(国連平和維持活動)への参加、インフラ建設、アンコール遺跡群の修復や、人材育成や技術協力を中心に、あらゆる分野において、二国間の協力スキームを築いています。現在、在留邦人数も約2300人(2014年)を超えています。

 

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斉藤公 (さいとう ひろし)
クラウンライン株式会社 メディア部長
大学卒業後、PHP 研究所に就職し、英文月刊誌 「PHP Intersect」を創刊。同社ニューヨーク事 務所長を務めた後、CBC 中部日本放送の関連会 社に転職、名古屋港再開発プロジェクトの企画立 案に携わる。1998 年に現勤務先の「クラウンライン・グループ」に転職し、シンガポールで日本語ラ ジオ放送「FM96. 3」の開局、日本語フリーペーパー「J プラス」を創刊。2007 年、ベトナムに移動し、「ハローベトナム」「インベストアジア」を創刊する。

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