アジアの本はこう読め!

第9回 日本人は中国で何をしたか

 

日本の社会状況に鋭く切り込む辺見庸の問いかけ

『1★9★3★7』と書いて、「イクミナ」と読ませる。数字は南京大虐殺が行なわれた1937年を表し、★は皇軍の軍帽につけられた徽章だ。読みには、「征くみな」の意味を含ませている。辺見庸の長編評論である。

辺見庸といえば、1991年に『自動起床装置』(文春文庫)で芥川賞を受賞し世に出た人ではあるが、作品としては1994年に出した、世界中を旅してのルポルタージュ『もの喰う人びと』(角川文庫)があまりにも有名だ(講談社ノンフィクション賞を受賞)。バングラデシュのダッカの路上で貧者たちと残飯を食らい、チェルノブイリに住み続ける老人たちと放射能汚染スープをすする。地に這いつくばり、現地の人と同じものを食べることで見えてくる飽食日本の無残。いまだに読み継がれている名作である。

また最近は、日本の政治や社会状況への激烈な意見をまとめた評論も多い。しかし小説もルポルタージュも評論も、すべてに共通しているのは、日本人とは何者なのか、という問いである。

で、『1★9★3★7』(河出書房新社)だが、「問題作」「衝撃作」というキャッチコピーが、字面通りに受け取ることのできる鬼気迫る評論である。

 

父親はなぜ戦争体験を語らずに逝ったのか

話は南京大虐殺を中国人の視線で語らせた堀田善衛の小説『時間』(岩波現代文庫)を読み解くことから始まる。

そしてそこに、中国戦線に従軍しながら戦場についての体験はひと言も口にすることなく逝った辺見庸の父親の「なぜ」を重ね合わせる。

浮かび上がってきたのは、ひょっとして父親は堀田善衛の『時間』に登場する皇軍兵士と同じように、中国の民を「殺しつくし」「焼きつくし」「犯しつくし」てきたのではないかという疑問。

だから父親は辺見庸を含む家族のだれにも戦争体験を語らずに逝ったのではないか。口にできないようなことをしたからだと。

辺見庸はそのことを確かめるため、さらに武田泰淳の小説に描かれている中国人たちに対する皇軍兵士たちのおぞましいまでの非道ぶりや、中国に出征した映画監督・小津安二郎の日記に書かれている中国人への侮蔑表現、芥川龍之介が小品『桃太郎』に込めた神国日本の悪逆ぶりを渉猟し検証する。

皇軍兵士たちは中国で何をしてきたのか。何もしていない人間を笑いながら犯し、切り、焼く。これがやさしく礼儀正しいと自賛しているわれわれ日本人の本当の姿なのか

辺見庸は問う。

あの戦場に投げ込まれ、上官に目の前の中国人の女を犯し殺せと命令されたら、はたして自分は断われただろうか、と。

中国人が日本人を鬼と呼ぶ理由

南京大虐殺は幻だの自虐史観からの脱却だのと平然とメディアで叫ばれている昨今、そんな声とは真逆のことを戦前・戦中派作家の多くが書き残していたことに驚かされる。

そして思う。日本人はあの戦争で何をしてきたのか。

辺見庸は語る。われわれは知らなかったのではない。知っていたのに知らないふりをしてきたのだ。

シンガポールの歴史博物館には、日本の軍人が中国系住民を拷問している再現蝋人形が展示されている。ずいぶん昔だが、それを見ていた私の横で、観光で来ていた日本人の老人2人が話していたのを思い出す。

「こんなもんじゃなかったな」

中国語で日本人の蔑称は「小鬼(シャオグィ)」という。

なぜ「鬼」なのか。辺見庸のこの新作を読んで腑に落ちた。

 


黒田信一(くろだ・しんいち)

フリーライター

1955年北海道生まれ。札幌で映画会社に勤務していた時、同僚たちと映画館建設を決定。苦闘の末、1982年、札幌に48席のJABB 70 HALLをオープン。映画館経営の傍ら映画雑誌『BANZAI まがじん』を創刊し編集長に。1992年、映画館を閉館、雑誌も廃刊。ライターに転向してアジアを中心にうろつく。2004年、ラオスでカフェを開業。2007 年に閉店し帰国、ライター業に復帰する。スポーツから雑記まで幅広く執筆。本の雑誌別冊『文庫王国』のノンフィクション部門や北海道新聞の新刊書評なども担当。主な著作には、『カフェビエンチャン大作戦』(本の雑誌社)『アジア大バカ珍道中』(情報センター出版局)『ア ジアバカうまレシピ』(情報センター出版 局)『インド人、大東京をゆく!―なんと、アジアで最も熱い都市が日本のなかにあった』(青春出版社)『ルチャリブレがゆく』(講 談社文庫)『突撃!グフフ映画団』(講談社文庫)などがある。

 

 

 

 

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