いまも僕を刺激するベトナムという国のこと Vol.8

第7回 ベトナムでオフィスを借りる(その3)

外国で事業をするときに考慮しなければいけない問題はいくつかありますが、そのうちの一つがオフィスです。
場所をどこにするかは大事ですし、広さも考えないといけない。もちろん家賃も重要です。
事業を推進するためには、オフィスの問題は軽視できません。私もベトナムではオフィス探しで苦労してきました。
過去2回にわたって、ベトナムでのオフィス探しにまつわるエピソードをご紹介してきましたが、今回は第3回目です。

 

ある日突然、入居しているビルが売却される

「オーナーさんが、このビルを売却したそうですので、家賃の振り込み先が変更になります」
とスタッフが知らせてきた。

「ちょっと待て!」

なごやかなムードのなかで契約を交わしてから、たった3か月でのオーナー・チェンジは衝撃だが、それは考えてみれば無理のない話かもしれない。一般に信用のある日系企業が3年契約で入居したばかりだ。立派な日本製のエアコンが10基もついて、ビルは見事にバリュー・アップされた。売り時には違いない。

しかし、借り手である私たちに一言もなしに売却手続きが完了し、今月から家賃の振り込み先を変えろというのは解せぬ。前のオーナーさんからの電話一本では話の真偽も定かではないし、そもそも私というか、LAMPART社は賃貸借契約の当事者だ。貸し手が変わるなら新契約に契約上の地位を承継してもらわなければならないし、新契約において契約上の諸条件が改悪されないことを確認する権利がある。

幸いなことに、知人のアドバイスを容れて、もともとの賃貸借契約は公証役場の認証を受けており、法的な安定性が高い。新しいオーナーも滅多なことはできないはずだが、さりとて、しかるべき手続きをとらずに、とにかく、今月から家賃を払ってこいというのには応じられない。

「ベトナムだから仕方ない」には極力付き合わず、法に則って対応するのが、うちのやり方だ、といつも社内では繰り返しているから、まず新旧オーナーを公証役場へ引っ張り出して地位承継の3者合意を交わしたうえ、現契約と同じ条件で新オーナーと契約を交わす。これは一歩も譲れないと伝えた。

 

 

公証役場に行きたがらない新オーナー

しかし、交渉にあたったスタッフは「新オーナーさんは公証役場へ行きたくないそうです」という。

「行きたくない、とかじゃないんだよ。来てもらうよ」

「ハノイに住んでいるのでホーチミンへ来るのが難しいそうです」

「難しくないでしょ」

「公証を受ける必要はないと言っています」

「そっちでなくても、こっちにあるんだよ!」

まったくもって、これこそが押し問答というやつだ。

「来い」「行かない」がしばらく続いたあと、新オーナーなる男はようやく「木曜日にホーチミンに出張するから、金曜日に公証役場へ行く」と承諾した。しかし、そのとき私はすでに東京にいた。

「この日しかないようですが、堀さんはホーチミンへ戻って来られますか……」

スタッフは申し訳なさそうに尋ねるが、是非もない。公証役場でサインするだけのため、2泊3日のとんぼ返りを決めた。

大家の力が圧倒的に強い

公証を受けていたのだから、まだ良かった。そうでなければ、借り主の法的な地位が比較的弱いベトナムではどんな条件を呑まされることになったかわからない。ベトナムではよく聞く怖い話のひとつに巻き込まれるところだった。
しかし、ボールペン1本だけを持って飛行機に乗るような格好の私のなかで、ビルを一棟借りるロマンはもう、色あせつつあった。
結論として、新オーナーも悪い人ではなかったことには触れておかなければならない。彼はアメリカ帰りの会計士で、国際的なビジネスセンスをわきまえた人物で、「公証など必要ない」といったのは、「ベトナムにおいても当事者同士が署名した契約書は充分法的に対抗力を有する」という彼の信念から出た言葉なのであったことがわかった。
ベトナムの旧正月前には、またスタッフに言って、酒を持って、新オーナーさんの自宅へ挨拶に行かせた。
「ベトナムでは本来、オーナーさんから出向くべきところ、気を遣っていただいて申し訳ないということでした!」
スタッフは嬉しそうに帰ってきたが、私はもうニコリともしない。

ビル1棟よりも普通のフロアで十分

あの頃は永遠にも思えた3年の契約も、気が付けば、折り返し地点を過ぎた。

その後も、やれ水漏れだ、床が沈んできた、消防署の検査だ、オーナーが防火扉の設置費用を負担しない、といっているだのといった一棟借りならではのトラブルには苦労させられ、担当するスタッフはへとへとだ。

だが、LAMPART本店ビルの屋上にしつらえたカフェでは、昼どきになると、従業員たちが弁当をひろげ、ことあるごとにパーティーが開かれている。仕事終わりの夕暮れ、サイゴンの生ぬるい風に吹かれて飲むビールは、たしかに最高だ。

会社はいつも余裕綽々とはいかない。

「ベトナム人は残業しない」という話をよく聞いたが、必要とあらば休日にだって出勤して顧客の信頼に応えてくれるメンバーたちに敬意を表するには、「屋上カフェ」ごときでは充分とは言えないだろう。今後も身の丈にあわせながら、彼らの働く環境には投資を続けていきたい。

もっとも、

「このビルの契約が終わったら、どうしようか。もっと大きなビルを借りるか……。それとも普通のフロア貸しにしておくか?」

と、訊いてみると、スタッフは、

「次は普通のフロア貸しのビルに入りたいです」と小さな声で答えた。

私も何となく、そのほうがいいような気がしている。

(この項、今回で終わります)

ーーーーーーーーーーーー

堀真一郎(ほり・しんいちろう)

株式会社Wakka Inc. グループ経営者

東京とベトナムのホーチミンシティーを結んでウエブ・システムのオフショア開発/BPO(業務のアウトソーシング)受託を手がける株式会社Wakka Inc. グループの創業者。株式会社RNA コンサルティングの代表取締役も務める。2011年に日系IT企業起ちあげ支援コンサルティングでホーチミンシティーでの活動を開始。現在は自社グループの経営にあたる。

 

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here