「ボータイ」を制する者がベトナムを制す Vol.6

第6回 オバマさん訪越で分かった社会主義国ベトナムの本気

第6回目の今回は、アメリカのオバマ前大統領が日本で開催されたサミットの直前にベトナム入りをした際の雑感を述べさせていただきます。

庶民の経済活動停止よりも大切な事がある!?

もうだいぶ前の話ですが、2016年5月22日から25日まで、首都ハノイと、かつてのサイゴンであるホーチミン市を訪れたオバマさん。

現職のアメリカ大統領(当時)としては、ビル・クリントン氏以来2人目の訪問となりました。かつての敵国ベトナムでの警備体制は、9・11以前のノンビリしたものではなく、かなり社会主義国の本気を出したような感じでした。

クリントンさんのときは、ずいぶん前から、宿泊先のホテルが公表されていましたし、交通規制も実際の車両が通る瞬間のみ。

当時ファーストレディーのヒラリーさんが、ツーリストエリアとして名高いドンコイ通りを買い物する際も、ベトナムの公安ではなく、アメリカのSPが「ご協力お願いします」レベルのテンションで、周辺数ブロック圏内の人の出入りを制限していた程度だったように記憶しています。

しかし、オバマさんのときは、宿泊先は結局公表されず、「市内中心部の5つ星ホテル数軒のうちのどれか」とされ、オバマさん滞在期間中の間、名前の挙げられたホテル周辺の交通は超の字がつくほどの厳戒態勢で長時間ストップ。

オバマさんが移動する時間帯になると、さらに、そのエリアに通ずるすべての道がブロックされてしまい、たとえ、その先に自宅があろうが、会社があろうが、通せんぼ!

朝から昼前までの3~4時間ほど、市民生活や経済活動に支障を来たしまくるという、日本では考えられない強権発動があり、つくづく、開けてきているようでも、いざとなったら、社会主義国の本気を出すんだなあ、という実例を目の当たりにした次第です。

不便だけど、過去は過去だけど、「ボータイ」だから

よその国であれば、いや、辛抱強さでは古今東西空前絶後と称される日本人であったとしても、同レベルの規制が首都中心部で広域&長時間にわたって実施されたとしたら、どうなっていたことでしょうか?

ましてや、それが、つい数十年前に交戦していた「かつての敵国」の長を迎えるためのものであるとしたら? 「水に流す」ことが得意な日本人でさえ、安保闘争の際に、どんな騒ぎを起こしていたかと考えると、この、ベトナム人の忍耐強さ寛容さには、良い意味で感心させられます。

周囲のベトナム人に訊いてみても、「困ったなあ」「めんどくさいなあ」とは苦笑いしていても、あまり本気で怒っていないし、むしろ、イベントとして楽しんでいる感さえあるのです。

「戦争」を知らない子供たちが加速させる時代の流れ

日本人にとって、ベトナムでの戦争といえば、対アメリカの「ベトナム戦争(ベトナム的には『抗米戦争』)」ばかりが思い浮かびますが、そもそもベトナム人にとっては、そんな短期間の話だけではすみません。

紀元前からは中国の歴代王朝と。18世紀以降はフランス帝国主義と。1940年代には、フランス→大日本帝国→フランスと闘った後で、1950年代から1975年までの間にアメリカと。返す刀でカンボジアやラオスに介入し、中越戦争。いまだに軍事的にきな臭い南沙諸島。

と、まあ、戦い続けている民族国家です。

今のベトナムの社会を動かしている世代は、ベトナム戦争が終わった後に生まれた若い人たちも多いのですが、感情的にはどうあれ、未来を見据えて、時計の針を動かすために、かつての「敵」とも、協力していく姿勢。

このしたたかさは、日本人も見習うべきところが多いのではないか、と改めて思った次第でした。


29屋(にくや)

在ベトナム22 年。本業である食品卸し・小売業のかたわら、「29屋」のペンネームにて、日越の仕事や人間関係を面白おかしく観察したコラム連載や講演、テレビ出演などを多数こなしている。

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