会社国家ニッポンの闇 ──ある派遣労働者の独白

第1回 「負け組」の遠吠え

 

日本は失業率も低く、仕事を選ばなければ、いくらでも職は見つかるという。人手不足だという話もよく聞く。しかし、それは本当なのだろうか……。少なくとも、ここ10数年のあいだ派遣労働者をしている私には、そんな実感は全くない。かつての私は誰もが知る大企業に勤めていたが、いったんそこからドロップアウトした後は、以後2度と正社員に戻ることはできなかった。安倍晋三君が言っているリベンジなど、実際にはこのニッポン低国では無理なのが現実だ。この連載では、大企業のサラリーマンを辞めた後に、私がたどってきた「負け組」への道のりを読者の皆様にお話ししたい。

 

とうとう今年、50歳になった。社会人になりたての頃、ただの年寄りにしか見 えなかったその時の課長の年齢を5歳も上回った。ここまでよく生きたなどという感慨はなく、焦りの気持ちばかりが強い。それはおそらくサラリーマンとして 過ごした8年間の、ちょうど2倍の16年間を一介の派遣労働者として生きてしまったからだろう。

 

息子が今春、新社会人として生活をスタートさせた。真新しいスーツにセンスのいいネクタイを締めた初々しい新サラリーマンの親父が、風呂なしアパートに住む白髪交じりの非正規雇用者。忸怩たるものを感ずるが、私がなぜこのようになり、どうして今も派遣労働者で働かざるを得ないのか──。この場を借りて考えていきたい。

 

貯蓄もなく、失業保険もなかった

非正規雇用者としてのスタートは派遣労働者ではなく、アルバイトだった。筆者はサラリーマンを辞めたとき(それについてはおいおい語っていく)に、都会での生活に区切りをつけ、実家に戻ったが、2年後、再度東京に出てきた。

 

しかし、充分な貯えがあったうえでの再出発ではなく、早々に仕事を決めなくてはならない状況であった。ハローワークの利用を考えないでもなかったが、その場合、紹介状をもらって履歴書を送り、書類審査に通って初めて面接に進むという行程をたどる必要がある。失業保険がもらえているか、経済的な余裕があればいいが、今そんな悠長に構えていてはホームレスに転落してしまう……。

 

そこで正規雇用は諦め、アルバイトの仕事を探すことにし、数種類の求人誌に隈なく目を通した。すると日給1万750円の仕事を見つけた。

 

施設警備員──。

 

拘束時間から計算すると、時給1000円は特別にいい条件ではなかったが、1日で1万円以上もらえることが魅力ですぐに電話し、面接を受け、採用された。1日1万750円なら、週休2日で働いても月収24万7250円。国民健康保険の支払いは必須だが、国民年金は払わなくても済ませられる。すると、手取りで23万円。これならアルバイトでも充分やっていける。未来が開けたようで気持ちが軽くなった。

 

詐欺会社だったが、金のためと割り切る

初日、事前にもらっていた地図を頼りに現場に行ってみると、そこはマルチ商法で人を騙している会社のビルだった。詐欺に遭ったことに気づき、押しかけて来た会員を、ビルに立ち入らせないことが仕事だった。隊長は色白で肥満の30代前半の男で、そこに新人5人と応援の1人が加わり、7人体制で警備する。エレベーターの前に2人、階段前に2人、3階ドア前に1人、役員室前に2人が配置された。犯罪の片棒を担いでいるようで嫌な気持ちになったが、手取り23万円と思い、割り切った。

 

押しかけてくる人は徒党を組んでくるわけではなく、1人か2人でやってきた。孫を連れたおばさんなどもいて、そうした人の対応は楽だったが、中にはどれだけの被害に遭ったのか、開いてもいないエレベーターに猛然と突っ込んでくる人もいて、眼鏡を飛ばされたり、腹を殴られた警備員もいた。白いロールスロイスで乗り付けてくるヤクザ者や、青森から車で来た右翼らしき2人連れもいたが、マルチ商法の社員も手練れらしく、そういう人たちはいったん談話室に受け入れ、椅子に腰かけさせたうえで延々待たせ、1時間も経った頃、書類を抱えて汗を拭きながら、「いやいやお待たせしてすみません」などと言いながら担当者が現れ、得意の口八丁で煙に巻いていた。

 

病んでいるガードマン

1週間が過ぎると、施設警備という仕事は基本的に退屈なのだと分かった。それで話をして時間をつぶすようになり、話してみると、同じ研修を受けた新人警備員は、総じて隊長に対していい感情を持っていないことが分かった。脂肪の厚さで鼻が陥没したような顔をしていて、夕方に社員の女性がポリ袋に入れたシュレッダー済みの紙くずを抱えて降りてくると、「女性にこんなもの持たすなよ!」と喚きながら手伝うよう指示し、女性社員に「うれしいかも」と言われて喜んでいた。

 

ほかの現場で何度か一緒になったらしい仲間が応援に来ると、「蟻が10匹~、蟻が10匹~(アリがトウ)」と感謝の気持ちをオタク的な言い方で伝え、気持ち悪さに拍車をかけていた。意味もなく敬礼の練習をさせたり、「警備員ではなく、ガードマンだ」と呼称まで強制させ、悦に入っている隊長だったが、新人5人の会話に入れないことを気に病んでいたらしく、「いま辞めても生活していけるかな。おばあちゃんに100万円借りてるしな。車検の費用も必要だしな」と手帳に計算をはじめ、その2日後から来なくなった。

 

嫌われ者の隊長がいなくなり、現場は仕事がやりやすくなった。時間つぶしの会話もこれまで以上に弾み、それによって隊長から「蟻が10匹~」と感謝されていた30歳の人の独自性も分かってきた。ドアの前に並んで立っていると、その人は唐突に、「帽子が落ちるときのテーマ音楽を考えているんですけど、いいのないですかね?」と、被っていた帽子を、輪投げをするように床に放った。

 

どう返答していいか分からず黙っていると、「これだと早過ぎるんで、実際はスローモーションがいいと思うんですけどね」と、今度は帽子を手に持ち、ゆっくり回転させながら床に置き、「やっぱり、ウルフルズの『明日があるさ』がいいと思うんですよ」と、歌いながら帽子をスローモーションで床に置いた。映画やビデオの撮影にでも携わっているのだろうか、と勘ぐったが、「明日があるさ~♪」に合わせながら、5分おきに同じ動作をいつまでも繰り返す姿に、勘ぐって損をしたと反省した。

 

この人は日給制の警備員という不安定な立場でありながら、結婚し、子供も2人いた。共働きの奥さんが病気になって働けなくなると、収入の不足を埋め合わせるため、日勤と夜勤を掛け持ち、徹夜を繰り返すようになり、無理がたたって倒れた。

 

正社員だったら決して出会えなかった人たち

一緒に入った5人のなかにも、サラリーマンを続けていたら出会うことのなか っただろう人がいた。20代から30 代前半が主だったメンバーのなかで、42歳という中年に達していたМ尾さんは、工業高校を卒業すると、一時は設計事務所で働いたこともあったが、故郷の熊本から東京に出てくると、肉体労働で食いつなぐ生活になり、国民健康保険が払えず、自己負担額が10割に達したこともある人だった。

 

「保険証の意味ないじゃないですか」と突っ込むと、「身分証明書として使えるんですよ」と悪びれず、「一度10割負担を経験すると、5割や7割ならまだ大丈夫だな、と思って、給料が入っても支払いに充てず、買い物したりするんですよ」と笑っていた。

 

不安定な生活に慣れてしまったのか、いつどうなるか分からないアルバイトの身分で、毎晩、缶ビール2本と刺身の夕食を楽しみ、朝はスポーツ新聞を購入し、宝くじも買い、「こんなに金を使っていいのかなって思うんですよ」と、さして気にしているようでもない顔で笑った。

 

マルチ商法の社員のなかにも、この人も被害者なのでは、と思わせられる人がいた。陽気な性格で、警備員にも気軽に話しかけ、就職を機に最近沖縄から家族で出てきたことを教えてくれた。狭いエレベーターで女子社員に囲まれると、「いいなあ」と嬉しそうに笑っていた。それが会社の実態が分かってくるにつれて笑 顔がなくなり、休憩室で休んでいると、「今月給料出るの?出なかったらどう したらいいの?こんな会社だったら勤めなかったよ。俺も明日から休んで別の仕事探したほうがいいかな?いまさら 沖縄に帰れないよ。どうしたらいいの?」と、同じく最近入社したらしい人と相談していた。

 

この詐欺会社は、会員に所在地を知られると引っ越しするらしく、ある日の夕方、机やロッカーなどを運び出しはじめ、翌日には建物はほぼ空になった。警備会社はそんな詐欺会社に警備費を請求し、未払いを続けられ、それでもしばらくは空のビルを警備していたが、突如、警備員全員引き揚げの指示があり、幕が下りた。

 

警備会社は「当面、御徒町の宝石店の仕事に優先的に入れるから」と言ったが、毎日入れるわけではないことや、また怪しい会社に行かされるのではという不安、通勤が大変になることで断った。日給1万円以上に惹かれてはじめた仕事は1か月半で終わった。このあと仕事が決まらず生活が困窮し、御徒町での警備を断ったことを後悔した。

 

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鳥屋野潟 えつ (とやのがた・えつ)

東京の有名私大を卒業後、大手保険会社に就職。30代はじめに退職する。以降、派遣社員でさまざまな仕事に就きながら、タイに通う。転職多数。ここ 数年は西南アジアに滞在することが多い。

 

 

 

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