会社国家ニッポンの闇 ──ある派遣労働者の独白⑩

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第10回 劣悪な労働現場しかない派遣の現実

日本人なら誰もが知っている大企業のサラリーマンを辞めた後に私が辿ってきた「負け組」人生を語る連載の第10回目──。今日の仕事はポスティングだった。チラシをひたすら投函する。暑い。ひたすら暑い。いつかまたタイへ遊びに行くことを夢見みながら歩いていく。派遣という使い捨ての傭兵から、正規軍の兵士に戻る見込みは全くなかった。いったい私はどこまで落ちていくのだろうか──。

 

1000枚は予想以上に重かった

やることもなく、時間の過ぎるのを漠然と待つ。9時になると、さっきの若い社員が台車に段ボールを重ねて入ってきた。

「これが今日配布してもらう資材です。1人1000部ずつ持って行ってください」

派遣会社からは事前に、大きめの丈夫なバッグを持参するようにと指示されていた。輪ゴムで束ねられているチラシを取り出してはバッグに入れながら、思った以上に重いことに不安になる。カラー印刷で上質の紙を使っているからだろう。1000部という枚数も予想外にかさばる。

「バッグに入り切らない人いますか?」

タイミング良く訊いてくれたので手を挙げ、紙袋を2枚もらう。底が抜けないように2枚重ねて使うのだ。全員が詰め終わったところで地図が配られた。

「太字で囲ってあるところありますよね。そこをまわってください。全員違いますから間違わないでくださいね」

地図を確認していると、注意事項と前置きして強い口調で言われた。

「先月あったことですけど、ポストに2~3枚ずつ入れた人がいたんです。そういうことは絶対にやめてください。その人には派遣会社の人と一緒に、夜遅くまでかかって全部入れ直してもらいましたから」

 

報酬の情けなさに仕事を終えた達成感も吹き飛んでしまう

重いバッグを右肩にかけ、左手にはこれまたずっしり重い紙袋を持って外に出る。何キロあるのだろう。重さで体がふらつく。これを持って1日歩きまわらなくてはならない。梅雨明け宣言はまだだが、日差しはすでに夏のものになっている。辛い1日になりそうだった。

まずは紙袋のほうを何とかしなければならない。地図で指示された場所まで来ると、紙袋からチラシを1枚取り出し投函する。戸建てには入れなくていいと言われたときは、それなら早く終わるだろうと高を括ったが、とんでもない。家で水道水を入れて持ってきたペットボトルを早々と飲み終わり、自動販売機で新たに買う。その場で汗を拭いながら飲んでいると、同じ紙袋を持った人が話しかけてきた。

「どうですか? 減ってますか?」

「いや、全然」

「お互いに頑張りましょう」

紙袋を重そうにして去って行く。さあ自分もやるぞと思う。頑張って歩いたが、正午までに紙袋は終わらず、それでも疲れ、腹も減ったので休憩にした。運良く見つけて入った松屋の冷房が、ひたすら心地いい。

食べ終わるとすぐにまた歩く。休憩を取っていたら5時までに終わらない。終わらなければ残業しなければならない。残業は無給だ。ただ働きはしたくない。午前中よりペースを上げて歩き、1時過ぎには紙袋を空にした。これでやっと両手が自由になる。ペースを上げたまま、バッグからチラシを取り出しては投函していく。大きなマンションが続くとチラシの減りかたも早い。頑張って3時半には残り100枚くらいまで減らす。4時半まで配り終えて戻れば、時間的にちょうどいい。残り1時間、さらにペースを上げて歩く。が、大きなマンションが途切れる。それと同時に減りかたも鈍る。

このままでは時間までに終わらない。危険を覚悟で2枚ずつ入れる。やっと終わらせ、身軽になって戻ると、配り終えた数人がすでに休んでいた。そのなかに1人、汗をかいた形跡のまるでない男がいる。開始と同時にチラシを捨て、どこかで休んでいたのだろう。ばれるリスクよりも楽するほうを選んだのだ。

5時になると午前中と同じ若い社員が現れた。

「お疲れさまでした。まだ戻ってきていない人もいますが、時間になりましたのでサインのほうさせてもらいます」

各自が派遣会社からわたされている「労働条件通知書」という複写式の用紙を差し出し、働いた証明のサインをもらう。この用紙を派遣会社に提出することで給料が発生する。

帰りの電車では、1000枚を配り終えた達成感に浸った。が、そのすぐあとに、交通費を差し引いたら7200円にしかならない現実に気落ちした。

 

直射日光で干からびそうになる

2日後、また同じところで働くことになった。今度はモデルルームの看板持ち。ポスティングに比べたら楽だろうと出かけたが、これもそれなりに大変だった。

疑問に思いながらも、例によって始業の40分前に集合する。今回は20代半ばの人と2人での勤務だった。無給で事前に集合させることに2人で文句を言いながら会社に向かう。呼び鈴を押して現れたのは、この前と同じ若い社員だった。

「おふたりがしっかりした服装なので安心しました。茶髪だとかズボンを下げて穿いているような人に来られると、会社がだらしないと思われてしまうんですよ」

仕事は聞いていたとおり看板持ちだったが、2人が別々の場所で看板を持つのではなく、駐車場の案内と看板持ちを交代で務めるのだった。

「この建物の2階が展示場になってるんですけど、駐車場の場所が分かりにくいんですよ。なので、建物の前に立って、車で来た人を駐車場に案内する人が1人と、交差点で看板を持って立つ人が1人。それを1時間ずつの交代でやってください」

建物の前は日陰になる部分もあったが、交差点は遮蔽物がなく、完全に直射日光にさらされる。建物の前でいかに体力の消耗を抑えるかが勝負になりそうだった。

どっちがはじめに交差点に立つか。ジャンケンで決めようとすると、「僕が先にやりますよ」と言ってくれる。若いのになかなかの人物だ。その言葉に甘え、先に建物の前に立った。

案内するのだから目立つところにいなければならない。

陽の当たるところに立つ。まだ9時過ぎだというのに、5分も立っていると日差しで頭が熱くなってくる。わずかな日陰に避難して熱せられた頭を冷やし、また太陽の下へと戻る。これを繰り返す。1時間たったので交差点へ行き、看板持ちを交代する。看板を受け取りながら訊いた。

「直射日光はどう?」

「看板の下の日陰に入ってました」

確かに看板を立てると、日陰ができる。頭がそこに入るように立てば、頭だけは直射日光を浴びずに済むようだった。

午前中はそれでどうにかやり過ごせたが、午後になって日差しが強くなり、アスファルトからの照り返しも加わると、交差点での看板持ちは苦行でしかなくなった。太陽が真上にくると看板で日陰はできず、全身が直射日光にさらされる。早く時間が過ぎてくれないかと何度も時計を見る。10分ぐらいたっただろうと期待して見るが、3分しか過ぎてない。このままでは熱中症になってしまう。ペットボトルの水を頭にかけて冷やす。時間になって交代し、建物の前に戻るとほっとした。建物の前は午後から完全な日陰になっていた。

4時を過ぎると、看板がまた日陰をつくりはじめた。目の前の交差点では車がひっきりなしに行き交い、赤信号では停車した車の列ができる。どの車も窓を閉め切り、車内の人はエアコンの冷気のなかにいる。路上の自分は彼らにどう映っているのだろう。

「暑いのに大変ね」

「こういう人って普段どういう生活してるんだろう」

ああいう奴らを負け犬って言うんだろうな

看板のつくる小さな日陰に頭を入れて立ちながら、自分はいったい何をしているのだろうと力なく思った。

どこかおかしい日本の大企業

帰りに駅で無料の求人誌を漁る。部屋でめくるとデモンストレーターの募集を見つけた。9時半から18時半までで9500円。ウインナーや加工食品の販売促進とある。エアコンの効いた店内なら熱中症の心配はない。重い荷を持ち汗だくになって歩きまわることもない。社名に日本ハムの文字がある。日本ハムの関連会社なら悪くないだろう。電話すると面接の日時を指示してくれた。

会社は日本ハム東京支社のなかにあった。通路の椅子で待つように言われる。座り心地の良さにさすが日本ハムと感心しつつ、就職活動をしていた大学4年のときに、この場所を訪れていたことを思い出した。日本ハムはOB訪問とは別に、人事担当の社員が話をしてくれる機会を設けていた。30代はじめくらいの男性が対応してくれた。学生は筆者を含めて2名だった。

「今日は会議室がいっぱいなので、ここに座ってください」

担当の社員は空いている近くの椅子を引き寄せると、筆者たちと向き合うように座った。

「何かか訊いてみたいことありますか?」

社員が派手な赤い靴下を履いているのが目に入り、人事担当がこれでいいのかと訝しみつつ、自由な社風なのかとも思った。残業について訊くと、社員は立ち上がって窓際に行き、

あそこにソニーが見えるでしょう。終電の時間が迫ってるのに電気が消えないんですよ。そうするとこっちも負けてらんないなって頑張るんです

と、靴下の色を忘れさせる力強い発言をした。

筆者は結果として、本社が大阪ということだけで日本ハムを受けず、東京に本社がある別の大手食品メーカーを受けて内定をもらった。が、始業が8時ということや、休みが土曜日と日曜日ではなく、水曜日と日曜日であることに不満を覚えて辞退。性格的に向いているはずのない保険業界に就職してしまう。そんな20年以上も前のことを思い出していると、銀縁の眼鏡をかけた40代半ばらしき男性が「お待たせしましたー」と明るく現れた。打ち合わせブースで男性は、日本ハムからの出向で働いていると、名刺を差し出した。係長とあった。

「これを聞いてもらえば仕事の内容が分かりますから」

係長はそう言うと、ラジカセの再生ボタンを押した。聞こえてきたのは、スーパーマーケットで耳にする店頭販売の口上だった。それにしても明るい。元気がある。

「トチらないで終わりまでやるのが大変で、何回も録り直しました。原稿を読みながらなんですけどね」

3分間のテープは「コケコッコー!」というニワトリの鳴き声で締めくくられていた。

「どうですかこれ。最後のコケコッコーを含めて」

「いや、まあ、元気があっていいと思います」

「そうですか! やり過ぎだという意見があって、他の人の感想を聞きたいと思ってたんですよ。そう言ってもらえると嬉しいです」

係長は満面の笑顔を見せた。

 


鳥屋野潟 エツ (とやのがた・えつ)

東京の有名私大を卒業後、大手保険会社に就職。30代はじめに退職する。以降、派遣社員でさまざまな仕事に就きながら、タイに通う。転職多数。ここ 数年は西南アジアに滞在することが多い。