会社国家ニッポンの闇 ──ある派遣労働者の独白⑤

第5回 楽な派遣現場など存在しない

誰もが知る大企業の正社員を辞めた後に私が辿ってきた「負け組」への道のりを語る連載の第5回目──。オペレーターとして働き始めた私は日々、客からの電話に追われておりました。客の理不尽なクレームには驚くことばかり。私の心はストレスでどんどん病んでいく。上司も無能揃い。とうとう働き続ける意欲がなくなりました。

 

未払いのくせに逆ギレする人たち

利用停止日が近づくと、支払いの延期を頼んでくる電話に追われ、実際に電波が止まる利用停止日当日は電話が鳴りっぱなしになり、オペレーターに呼ばれたSV(スーパーバイザー)がフロア中を走りまわる。

「電話が使えないんだけど! どうなってんのよ‼」

「何で使えねんだ! なに? 払ってからだ? いいからさっさと使えるようにしろ‼」

こっちの言葉をまったく聞かず、喚き散らす女。血管が破れるのでは、と心配になるほどキレるじいさん。ガムをくちゃくちゃ噛みながら、「すぐつなげ」としか言わない男。

「海外派遣されている自衛隊の夫が、いま私に電話していたらどうするんですか! 国のために働いている人の家族の電話を何で停めるんですか‼」と怒る妻もいる。

筆者は思う。使ったぶんは支払うのが社会のルールではないのか。それを棚上げして、未払いのまま使える状態を維持しろとはどういうことなのだろう。世の中にはおかしな人が思った以上に多いらしい。表面的には常識人を装っているが、姿をさらすことのない電話では本性を出す。

 

仕事が全くできない管理職

1人のオペレーターが電話を1日に100本以上受け、利用の再開は未払いの料金を払ってからであることを納得させる。ごねる客には支払いの約束を取り付け、利用をいったん再開し、約束した日までに支払いがない場合は再度利用停止になる設定をする。終業時間にはクタクタに疲れている。そんなときに帰路、カラオケ店の呼び込みに腕をつかまれ勧誘された。普段ならどうということもないが、そのときは頭に血がのぼっていた。殴りつけそうになった。意識しないままストレスの塊と化していたのだろう。

オペレーターがトイレにも行けないほど頑張っているときにも、管理職の人たちはノンビリ過ごしていた。NTTを定年退職した人間が、役職を下げて再雇用されているのだという。どうりで年寄りが多いわけだ。しかし、この人たちの仕事ぶりはお粗末だった。客はオペレーターの案内に納得できないと、「上の者に代われ」とSVを電話に出し、それでも埒が明かないと、課長と話をさせろと言う。課長は渡されたヘッドセットを頭につけて、保留を通話に切り替え、客と話をはじめる。が、端末機の使い方も画面の見方も分からないので会話がまるで進まない。ただ怒鳴られている。涙ぐみながら耐えている課長や、オペレーターが代わってくれと頼んでいるのに聞こえないふりをして、書類から顔を上げない課長もいる。ヘッドセットのマイクを口元ではなく頭のほうに上げたまま、「もしもしー、もしもしー、こちらの声が聞こえないのでしょうかー? お客様の声ははっきりと聞こえているのですがー」と、コントにしか思えないようなことをしている課長もいる。

閑散期のあるとき、そんな課長のひとりに話しかけられた。

「鳥屋野潟さんはどちらのご出身?」

「○○です」

「あ、○○。あのあたりは荒らしたよー。山のほうまで入り込んでずいぶんと荒らした。大変だったけどねー」

山間地で電話回線の敷設にでも携わったのだろう。鉄柱に登っての作業もあったのかもしれない。いまは客に怒られ、泣きそうになっているが、若い頃は第一線で逞しく働いていたのだ。筆者の課長を見る目は変わった。が、それはすぐにもとに戻った。

「露天風呂のいいところがあってね。車で入れないところはタオルだけ持って歩いて入りに行ってー」

 

無能な奴ほど派遣社員に怒鳴り散らす

不満はありながらもその頃はまだ良かった。N崎部長が気にかけてくれているという安心感があった。筆者を含めた同期4人は、N崎部長に採用された1期生だった。N崎部長は春の異動ではじめてコールセンターに配属になり、すぐに男女比のバランスの悪さに気づいたという。

「女性のきめ細かい仕事の進め方は評価するけども、女性ばっかりというのはデメリットも大きい。職場というのは男女が協力し合ってはじめて大きい成果を生む

仕事に厳しく取り込んできたことが引き締まった顔に現れていた。体は小さかったが親分肌で、会議室での簡単な親睦会などではN崎部長を中心に笑いの輪ができていた。筆者が派遣会社の営業に励まされてまた出勤しはじめたときには、

「はじめからできるなんて誰も思ってないんだから、緊張することないんだよ。馬鹿だなあ。だけどまあ、また出て来れて良かったよ」

そう声をかけてくれた。

M田さんの発案で、N崎部長を囲み、研修担当のK井さんも誘って酒を飲んだ。2次会では部長が寿司屋に連れて行ってくれ、食べきれないほどの刺身を注文してくれた。M田さんが「採用していただきありがとうございました」と正座して深々と頭を下げるので、筆者も慌てて、あぐらを正座に直したのだった。翌日グループ内でそのことを話すと、派遣社員が派遣先企業の管理職と酒を飲みに行くことは普通ないと言われた。筆者たちは冬にも部長を囲んで飲み会をした。同期は1人が辞め、3人になっていた。

3月半ば、そのN崎部長の異動が発表された。センター長として故郷に帰る栄転と言われたが、1年での異動は異例らしく、筆者は部長の人気と実行力をひがんだセンター長が追い出したのではないかと推測した。センター長は閑散期になるとよく、湯呑を手にしながら派遣社員の間を歩き、「どうですか?」などと声をかけていた。温厚な人なのだろうと思っていたが、あるときベテランオペレーターに支払いの延期を断られた客がお客様相談室に訴え出て、センター長からの説明を要求した。センター長が電話すると、長時間にわたって怒鳴り散らしたらしい。ベテランオペレーターはセンター長に呼ばれた。

「長くやってるからって、いい気になってるな!」

間違ったことをしたわけでもないのに頭ごなしに怒られ、そのベテランオペレーターは悔しさで涙がとまらなかったそうだ。納会の開かれたのは、そんなことのあった12月の終わりだった。

残業するのか、しないのか、それが問題だ

派遣先企業の催しに、派遣社員がなぜ無給で参加しなければならならないのか。行かないつもりでいたが、社長が挨拶するので原則参加と言われ、しぶしぶ足を運んだ。ホテルでの立食パーティーだった。疲れたら休めるようにと壁際に椅子が並べられていた。時間が進むにつれ、立っていることに疲れて、椅子で休む人が出てきた。いつのまにかほとんどの椅子が埋まり、筆者も腰かけて歓談していた。すると、社長がいる間は笑みを絶やさなかったセンター長が顔を紅潮させ、「お前ら、なに座ってんだ! すぐに立て‼」と怒った。みな慌てて椅子から立ち上がったが、社長がいなくなったとたんに態度を変えるセンター長の人間性を見た気がした。

後任の部長にはH澤次長が繰り上がりで就任した。新部長の就任挨拶は筆者を失望させるものだった。

「時間外労働に積極的でない人は厳しく査定させていただく(契約を切らせていただく)」

サラリーマン時代は、いつ帰れるのか分からない残業が当たり前だった。空腹をこらえて仕事を続け、10時頃に帰宅し、やっと食事にありつく。やりがいが得られればそれでも我慢できるだろうが、そうでなければ苦痛でしかない。派遣社員で働きはじめた当初は、やりかけの仕事を残して定時で帰ることに違和感を持っていたが、慣れると、定時退社するほうが人間らしいと思えるようになった。繁忙期が近づくと、「残業できる日に〇をしてください」と書かれた紙が回ってきて、各自が自分の都合に合わせて残業を申請する。体調や家庭の事情で残業できない人もいるはずなのに、H澤部長は残業する人はいい社員、しない人は駄目な社員と考えているようだった。H澤部長は、N崎部長が推し進めた男性派遣社員の増員も取りやめた。採用される人は以前と同じように女性ばかりになり、男性はいたとしても1人という有様だった。

H澤部長は自席で受話器を耳に当てながら、男性派遣社員を遠くから睨みつけていることがよくあった。オペレーターはヘッドセットを常時付けたままでいることを義務づけられていた。会話はすべてヘッドセットのマイクで拾われ、管理職の机の電話機で聞くことができる。H澤部長は自分の悪口を派遣社員が言っていないか、いつもチェックしているのだった。自腹の交通費に毎月2万円以上もかけているI野さんなどは、「何だあの眼は」「仕事ないのか」「役立たずが」などなど好き勝手に言い、「今度言ったら契約を打ち切る」と派遣会社を通じて厳重注意され、3か月更新だった契約を2か月更新に変えられていた。筆者も睨みつけの対象になっているようだった。理由は女性たちと楽しそうに話していることだろうか。女性が睨まれることはなかったので、結局のところ男が嫌いなのだろう。

男のくせに派遣社員なんかになりやがって。雇ってやってるんだ、小さくなって働いてろ。

細く冷ややかな眼がそう語っていた。

 

辞めようとしたら辞めさせられる

4月になるとグループの編成替えがあった。それを機に筆者は退職を考えはじめた。タイに行ける資金が貯まったこともあるが、センター長やH澤部長の派遣社員に対する態度が我慢ならなかった。

長期の派遣労働はたいてい3か月契約で、それを更新していくことで正規雇用の社員と同じように働く。更新月の1か月前に派遣会社の営業から更新するかどうかの打診があり、続けるか辞めるかをそこで伝える。派遣社員は入社も簡単であれば退職も簡単だった。

更新しない旨を伝えた翌日、最近担当になった若い営業社員から電話があった。

「H澤部長に鳥屋野潟さんの意向を伝えたところ、来月末ではなくて、今月末で辞めてもらっていい、とそんなことを言われまして。ですが、契約は来月末までですので、鳥屋野潟さんが希望すれば来月末まで働くことは……」

頭に血がのぼり、終わりのほうはよく聞き取れなかった。

NTTを定年になって、暇つぶしに来ている人間が何を言ってるんだ。お前らの給料を稼いでるのは派遣社員のオレたちだろう。

「それならそれでいい!」と電話を切った。

1週間の間に同期と旧7グループでの送別会があった。数人からメールアドレスや電話番号の書かれた紙を渡された。最終日の終業後に、近くの席の人たちが立ち上がって拍手で送り出してくれた。

派遣会社に電話し、失業手当の申請に必要な書類を送ってくれるよう頼んでから出国した。急だったので辞めた実感がわかず、安宿のベッドに寝転んではカレンダーを眺め、繁忙期のコールセンターの様子を想像した。失業手当の手続きで痛恨のミスをしたことに気づくのは、3か月のタイ滞在を終えて帰国してからだった。

 


鳥屋野潟 エツ (とやのがた・えつ)

東京の有名私大を卒業後、大手保険会社に就職。30代はじめに退職する。以降、派遣社員でさまざまな仕事に就きながら、タイに通う。転職多数。ここ 数年は西南アジアに滞在することが多い。

 

 

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