会社国家ニッポンの闇 ──ある派遣労働者の独白⑥

第6回 時給が低くても仕事があるだけマシなのか?

誰もが知る大企業のサラリーマンを辞めた後に私が辿ってきた「負け組」への道のりを語る連載の第6回目──。ドコモのコールセンターを辞めた私は3か月間、タイで疲れを癒して、日本に戻ってきました。働かなくては食ってはいけない。派遣会社から紹介された現場は今度も携帯電話のオペレーター。再び客と電話を武器にした戦いが始まりました。

失業保険の手続きに痛恨のミス

帰国したのは8月の終わりだった。アパートのドアを開けると黴臭さが鼻を突いた。服、壁、本棚にまで黴が付着していた。押入れのなかも餌食になっていた。タイでは安宿に泊まり、そのなかには枕カバーやシーツを換えていない宿もあったが、これほどではなかった。夜になり布団に入ると、黴の臭いでむせ返る。黴のなかに寝ているかのようだ。こんな部屋にしか住めない日本での現実に、情けなさが込み上げた。

派遣会社から送られてきていた失業手当の書類を持ってハローワークに行く。説明会に出るように言われて1週間後にまた行く。失業手当はサラリーマンを辞めたときにももらっていて、仕組みは理解していた気でいたが、大事なことが記憶から抜け落ちていた。自己都合で辞めた場合に課せられる3か月間の待機期間中に、ハローワークに足を運ぶ必要はなかった。知っていたら渡航前に手続きしていた。説明会に出てから出国していれば、待機期間満了にあたる3か月後のいま、受給が開始されていた。地団太踏んだが、あとの祭りだった。

 

派遣会社役員の対応に怒り

電話したのは3か月前まで籍を置いていた派遣会社だった。またどこかのコールセンターを紹介してもらえないかと思った。要件を伝えるとその日の午後に、喫茶店で話をした取締役兼営業から連絡があった。

「24時間稼働の印刷会社で、黙々と作業するんです。夜勤と昼勤が半々ずつなんですけど、鳥屋野潟さんは人と会話するより、モノ相手の仕事のほうが向いているんじゃないかと思いますよ」

せっかく電話対応の経験を積んだのだから、次もコールセンターで働きたい。

「だってあなた、そのコールセンターで続かなかったわけだから」

この人は何も分かっていない。適当に相槌を打ち、電話を切った。

それから1週間後、この取締役兼営業からまた電話があった。

「ひさしぶりですねえ」

ひさしぶり?

1週間前に話したよね。それに何でそんなに愛想がいいの。1週間前は冷たかったよね。それらの言葉を飲み込み話を聞く。コールセンターの仕事を紹介してくれるらしい。が、筆者の頭には疑問符がいくつも浮かぶ。黙々と仕事をするほうが向いているんじゃなかったっけ? それとも1週間前に話したこと忘れてる? 時給が低かったこともあって断ったが、電話を切った後もしばらく、何だか分からない気持ち悪さが残った。

大手なら抱えている派遣先も多いはずだ。そう思い、登録に行った派遣会社から電話のあったのはそれからすぐだった。

「鳥屋野潟さんの経歴を拝見しまして、是非にと思い、ご連絡しました。どうか助けてください」
助けてくださいとはどういうことだろう。詳しく訊いた。

「実はauで今度、本人確認書類の審査を強化することになったんです。偽造による損失が莫大な額になっているようで。部署も新設されることになりまして、そこのリーダーをお願いできないかと思っているんです」

声の感じから推測すると、20代後半から30代はじめくらいだろう。業務上とはいえ、女性からの熱心な誘いに悪い気はしない。

「若い人が多いと大学のサークルみたいな雰囲気になってしまうんです。そこを鳥屋野潟さんに締めていただきたいと。ただお時給がご希望の金額よりも低くて、1200円なんです。ですが、できるだけ早くご希望に添えるように頑張りますので」

8時間労働ということなので、時給1200円なら1日に9600円。土日祝日も出勤し、月に22日か23日働くので、年金を払わなければ額面で21万円ぐらいにはなる。これなら養育費も送れる。ドコモのときより下がるが、希望の金額に添えるように頑張ると言ってくれている。ひとまず面接だけでも受けてみよう。翌日電話し、話を進めてくれるよう伝えた。

面接会場は異様な雰囲気に満ちていた

飯田橋駅の改札で待ち合わせた。営業担当は予想したとおりの年齢で、一緒に面接を受ける女性と並んで待っていた。挨拶を交わして名刺をもらい、3人で歩き出した。

着いた先は大きなビルだった。レストランやコーヒーショップ、書店も入っている。促され、エレベーターで昇ると、そこでは大勢の人たちがパソコンに向かっていた。いったい何人いるのだろう。1000人近くいるのではないだろうか。整然と並び、申込書の内容を入力している。キーボードを打鍵する音だけが聞こえる。養鶏場を思わせる光景に圧倒されながら会議室に向かう。フロアの異様な雰囲気に不安を覚えていたが、待っていたのは、いいおとっつぁんという感じの気さくそうな課長だった。課長は履歴書と職務経歴書を見ると満足したような顔をし、口を開いた。

「私は中年になってから中途で入社して、この部署も異動してきて1年たってないんですよ。今回大役を任されることになって緊張してますけど、皆さんの力を借りながら頑張っていきたいと思っています」

苦労してきたことが、偉ぶらない言葉使いと態度から分かった。面接を終えてエレベーターを降りると、派遣会社の女性が言った。

「今晩お電話いたしますので、お引き受けしていただけるかどうか決めておいてください」

時給の低さが引っかかったが、課長の人柄に好感が持てた。ハローワークに派遣社員での仕事が決まったと連絡すると、「おめでとうございます!」と明るく祝われた。

初日に顔を合わせたのは10人だった。2社の派遣会社から5人ずつ派遣されていた。簡単な自己紹介をし、研修を担当する30代前半のSV(スーパーバイザー)も紹介された。派遣会社の女性がどう伝えたのか、SVが筆者をクレームのプロと持ち上げるので、てっきりドコモでのことを言っているのだろうと思ったが、

「保険会社にヤクザが怒鳴り込むなんてこと、ホントにあるんですか?」

と、訊いてきた。サラリーマン時代に自動車事故の支払い査定をしていたとき、確かにそんなことはあった。しかしそれは1年に1度あるかないかの出来事で、そのうえ隣の部署が担当だったので筆者にはよく分からず、それでも頭をフル回転させ、

「何を持っているか分からないので、極力興奮させないようにして、いざという時にはすぐに身をかわせるよう、椅子に浅く腰かけていました」

そう話すと、全員が感嘆の声を上げた。

 

身分証明書の偽造を見破る

数日後にさっそく飲み会が開かれた。ここでそれぞれの年齢が知られることになる。20代が6人、30代が3人、最年長は胡麻塩頭から予想したとおり、O川さんの56歳だった。O川さんは1年前にKDDIを早期退職し、かつての勤め先に派遣社員として働きはじめた異色の人だった。昔の同僚や部下が続々挨拶に現れるのではと眺めていたが、O川さんの働いていたのはKDDIではなく吸収されたほうの第二電電だったためか、「どうしたんですか?」と1人が声をかけてきたに過ぎなかった。

仕事は事前に派遣会社から聞かされていたとおりだった。店にauの携帯電話を買いにきた人が、本人確認として提示する免許証や保険証が、正規なものかどうかを審査する。派遣社員をやっていると分かってくるが、派遣会社は自社のスタッフが派遣先企業で携わっている仕事の内容を把握していないことが多い。それが早期に辞めてしまう要因にもなっている。ドコモでの仕事がまさにそうだった。派遣会社からはクレームは上にまわして構わないと聞かされていたが、実際は客から上に代われと言われるまでは自力で対処しなければならず、SVに代わってばかりいるオペレーターは仕事のできない人と見なされ、早々に契約を打ち切られていた。

素人が身分証明書の偽造を簡単に見破られるものだろうか。はじめはそう思ったが、auショップや量販店でスキャンされて送られてくる書類の画像を拡大してみると、生年月日の3を8に手書きで換えたり、10の0の部分を削って1にしたり、名前の一を十にしたりと稚拙なものが多く、2か月もやればほとんどの偽造を見破れるようになった。模造犯は契約を断られると、近くの店で再度契約を試みるので、偽造が発覚すると同じ本人確認書類が短時間にいくつもの店から次々送られてきた。1度に何台もの携帯電話を契約しようとする特徴もある。店によっては審査中と伝えて待たせておいて、警察に通報するところもあるようだった。

 

他部署の仕事はやってはいけない

一緒に働いていると、1か月もすれば誰がどんな人間なのか分かってくる。30歳のH田さんは、お替りが自由の「さくら水産」で、どんぶりに大盛り御飯を3杯も食べる人だった。「よく食べるねえ」と感心すると、自分を例えて「犬」と言った。金がないから、お替り自由の店で食べられるだけ食べ、家ではインスタントラーメンで我慢しているのだと話す。1袋では足りないので2袋食べる。水とラーメンをどんぶりに入れ、電子レンジで煮るのだと笑った。

「インスタントラーメンが2袋入るぐらい大きいどんぶりなんだ?」

「普通のものですよ。だから上のほうが煮えなくて、硬いまんま食べてるんですよ」

易の出版社で働いていたこともあったらしい。時給が1000円だったので生活が苦しくて辞めたが、いまでも字画占いができると筆者の氏名を占ってくれた。唐突にO川さんに腕相撲を挑んだり、飲み会でグテグテになって人におぶさったりと、見ていて飽きないH田さんだった。しかし、仕事への緊張感が足りなかったのだろうか。H田さんは手を出してはいけない他部署の仕事を、興味本位で処理してしまった。静かな職場で大声で笑ったりすることを快く思っていなかったSVが、それを強く咎めた。

「何やってるんですか! やっちゃダメだって言いましたよね‼」

「これどうしよう? やっていいと思う?」

そう訊かれたI田さんが「やっちゃってください」と、調子よく答えた経緯があったらしいが、H田さんは何で自分だけが怒られるのかと憤慨し、「やれと言ったI田が悪い」と毒づいた。結果、派遣会社の担当と喧嘩することになり、辞めていった。「幼稚」の一言しかないが、個人的には面白味のある人がいなくなり、寂しく感じた。

 


鳥屋野潟 エツ (とやのがた・えつ)

東京の有名私大を卒業後、大手保険会社に就職。30代はじめに退職する。以降、派遣社員でさまざまな仕事に就きながら、タイに通う。転職多数。ここ 数年は西南アジアに滞在することが多い。

 

 

返事を書く

Please enter your comment!
Please enter your name here