会社国家ニッポンの闇 ──ある派遣労働者の独白⑧

第8回 派遣に落ちた私はいつか正社員に戻れるのか?

日本人で知らない者がいない大企業のサラリーマンを辞めた後に私が辿ってきた「負け組」人生を語る連載の第8回目──。ドコモ、au、KDDIと、会社は違えど、派遣のオペレーターとして電話を武器とする戦場をひたすら転戦する日々が続いていた。いわば現代の傭兵である。さすがに疲れとストレスが溜まり、タイへ遊びに行くことだけが唯一の楽しみだった。早く正規軍の兵士に戻りたい。

 

お昼くらいゆっくりと休ませてほしい

昼休みは45分間だった。事前に説明がなかったので、1時間とばかり思っていて、契約書を見てはじめて知った。交代で15分休憩を取るためということだったが、はっきり言って有難迷惑だ。昼食時に1時間休ませてもらったほうがよほどいい。
12時になり、外に食べに出る。はじめてのところなので、どこに店があるのか分からない。大通りに出て探す。寿司屋や蕎麦屋はあるが、ランチでも800円以上する。600円前後で食べられる店を探す。ラーメン屋を見つけるが満席で入れない。時計を見るとすでに20分経過している。早く見つけないと、何も食べないうちに昼休みが終わってしまう。700円の定食を出している中華料理屋に空席を見つけて入る。注文して出てくるまでに10分。値段の割に量が少ない。それを急いで食べて早足で戻り、どうにか間に合った。
翌日から昼休みは店を探して歩きまわることになった。それも早足で歩かなければならない。が、周辺に安い店はないらしく、歩きまわった挙句、いつも同じ中華料理屋に入るはめになってしまう。時間に追われながら食べて急いで戻る。休んだ気もしないし、金もかかる。コンビニの弁当で我慢するしかないのか。そう諦めかけていた頃、同じく今回の不具合対応で雇われたSV(スーパーバイザー)が、大通りとは逆のほうにランチを出している居酒屋があると教えてくれた。道を訊き、行ってみる。分かりにくいところにあるため、混んでなく、量も味も満足できる。翌日からこの店に通うことで、45分間でも昼休みらしい時間を過ごせるようになった。

 

電話が鳴らなければ仕事は何もない

その日は、朝から電話が鳴らなかった。不具合対応も2か月目に入り、本数は減っていたが、それでも毎日1人数本は受けていた。それがその日はまるで鳴らない。始業から30分が過ぎた時点でおかしいと思ったが、黙っていた。

「全然かかってこないですね。どこかで線でもはずれてるんですかね?」

隣のK田さんがそう言いながら、机の下にある機械の配線を調べようとするのを止める。電話回線の分配機がK田さんの机の下に置かれていた。

「やってもやらなくても給料変わらないんだから、こういう時ぐらいゆっくりさせてもらおうよ」

「それもそうですね」

電話は10時を過ぎても鳴らない。課長もさすがに変だと思ったようだ。

「いま担当の部署に連絡して調べさせてますから」

30分ほどすると、作業着を着た人がやってきた。

「あとはここぐらいしか思いつかないんですけどねえ」

K田さんの机の下に入る。

「やっぱりだ。ここですよ」

接続されていなければならないコードが抜けていたらしい。

「何かしました? 思いっきし抜けてんだけど」

K田さんに疑いの目を向ける。

「何にもしてないですよ! 僕じゃないですよ‼」

K田さんが顔を紅潮させる。

「知らないうちに足で触ってしまったのかな」

否定するK田さんを課長がかばう。K田さんは原因を調べようとして、机の下に潜り込もうとしていた。犯人どころか、いい人なのだ。そのことを話して弁護してやろうと思ったが、

「調べようとして、何で途中で止めたんですか?」

「鳥屋野潟さんに止めるよう言われたので」
と、あらぬ方向に話が展開していくとまずいので止めた。

 

タイで遊ぶために日本で働く

職場の横を目黒川が流れていた。川の両脇には桜が植えられ、それらが咲きはじめると、川沿いの遊歩道を大勢の人たちが行き来した。名所と言われるだけあって満開の桜は壮観で、風に煽られた花びらが宙を舞い、落ちて川面を帯になって流れていくさまは風情があった。電話と記録用紙だけが置かれた机に向かい、飛び散る花びらを窓越しに眺めた。タイに行ける金が貯まっていた。

タイから日本に帰国したのは6月のはじめだった。帰国すると、翌日から職探しに追われる。旅の余韻にも浸れないそんな慌ただしさをどうにかしたく、今回は出国前に仕事を決めていた。車で大学や研究機関をまわって電子辞書を売り込む営業職で、派遣社員ではなく、契約社員だった。

「仕事を覚えるまでは、年下の人間にあれこれ教えられることになると思うんですが、そのあたりは大丈夫ですか?」

「ドコモでもauでも、上司の年齢は自分より下でしたが、問題ありませんでした」

「正社員への採用は今のところできませんが、それでもいいですか?」

「契約社員であっても頑張っていれば、別の局面が見えてくるように思います」

3人の面接官を相手にし、脇のテーブルにも2人の人事担当者が控える大がかりな面接だったが、落とされたらこれまでどおり帰国後に探せばいい。そう思うとリラックスでき、言葉が淀みなく口から出た。数日後には採用の連絡をもらった。

「受かると思っていなかったので、少し海外を旅行をしようと航空券を買ってしまいました」

「そうなんですか。お戻りはいつ頃ですか?」

「来月の2週目からは出社できると思います」

「分かりました。お待ちしておりますので、戻られましたら連絡ください」

帰国後に職探しをしなくていい。気持ちに余裕が生まれるいっぽうで、聞かされた20万円という給料に落胆していた。募集案内には20万円~23万円と記載されていた。20万円を労働時間で割ると時給1300円。途中から100円上げてもらったauのときと変わらない。auでは年金を払わないことでどうにかやりくりできたが、今回はそうはいかない。何とか23万円にしてもらおう。そう思って挑んだ面接なのに、それを言えないまま、さっきの電話で20万円と告げられてしまった。それでも帰国後の職探しに時間を浪費しないですむことはやはり嬉しい。おかげでタイ滞在中は、いつもよりリラックスして過ごすことができた。

 

パニックで何も考えられなくなる

が、ひとつの失敗がそれを帳消しにした。帰りの航空券は出発時間が0時30分のものだった。6月3日の夜に空港へ行ってチェックインし、4日に日付が変わってすぐの出発。気をつけないと間違えてしまう。それで日記代わりに書いているノートにカレンダーを作り、1日が終わるごとにチェックを入れていた。そこまでしていたのに間違えた。

朝6時にはっと目が覚めた。何でこんな時間に目が覚めるのか。帰国は今日の夜のはずだ。念のためノートのカレンダーと航空券を見比べる。見間違いではないかと何度も見る。どう見ても1日勘違いしている。乗るべき飛行機は5時間前に離陸していた。それが判明した瞬間、パニック発作を起こしそうになった。

はじめてパニック発作に襲われたのは、サラリーマンを辞める1年前だった。救急車で運ばれた。救急病院の医者は「コンサートで熱狂した女の子がよくこういうふうになりますよ」と言ったが、そんな簡単なものではない気がした。その後は何事もなく過ごしていたが、会社を辞めた途端に頻繁に発作を起こすようになった。閉じ込められたところや狭いところに身をおくと、おかしくなる。電車に乗れない。車に乗れない。エレベーターに乗れない。湯舟に入れない。部屋にいても窓が開いていないと苦しい。頓服薬が手放せなくなった。

ベッドに体を横たえ、深呼吸を繰り返した。しだいに落ち着いてくる。落ち着いてくると、頭がさまざまなことを考えはじめる。手元の航空券は使えない。所持金は3000バーツを切っている。タイに知人はいない。しかし運のいいことに、ドコモで働いていたときの社内斡旋で、無審査で作ることのできたクレジットカードを持ってきている。必要ないからと前回はアパートに置いてきていたカードを、今回は持ってきている。そのおかげで3日後には帰国することができた。

が、貧すれば鈍す。帰国してしばらくは金がない。電子辞書の営業は手取りで17万円程度にしかならない。そこにカード会社から引き落としをかけられたら、生活が破綻してしまう。そう考えてしまった。書店に電話した。

「額面20万円の給料ではやっていけない事態になってしまいまして。すみませんが辞退させてください」

電話に出た女性は少し慌てたようだった。

「担当者には伝えますが、場合によっては折り返し連絡させていただくかもしれません」

電話をもらってもどう話していいか分からず、携帯の電源を切って着信しないようにした。しかし、それも狡いように思え、午後からは電源を入れたが、電話はかかってこなかった。

気を取り直して職探しをする。仕事は10後に見つかった。オフィス用品のコールセンターで、時給1500円。最寄り駅は丸の内線の新宿御苑前だが、JRで新宿まで出てそこからは歩くようにすれば、1万円以上かかる交通費を7000円以内に抑えられる。いい仕事を見つけたと喜んだ。が、冷静に考えてみると、電子辞書の仕事は交通費が支給される。20万円という給料も時給換算では1300円だが、実際は時給ではなく月給でもらえる。ということは、夏季休暇や年末年始に休んで稼働日数が減っても、それが就業規則に定められた休暇であれば20万円は保障される。

それを考えると、交通費が支給されず、休めば自腹を切らされる時給1500円の仕事と、トータルではそう変わらないのではないのか。仕事自体もコールセンターより営業のほうが面白味がある。契約期間も3か月ではなく1年。正社員への採用はないと言われたが、活躍しだいではその道もあったのではないのか。などなど考えていると、根本的なことに気づいた。そもそもタイでクレジットカードを使って買った航空券の代金を、一括ではなく分割で引き落とされるようにすれば、何の問題もなかったのではないのか。入社を1か月間待ってくれた会社に、自分から断りの電話をしたことを後悔した。

 


鳥屋野潟 エツ (とやのがた・えつ)

東京の有名私大を卒業後、大手保険会社に就職。30代はじめに退職する。以降、派遣社員でさまざまな仕事に就きながら、タイに通う。転職多数。ここ 数年は西南アジアに滞在することが多い。

 

 

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